災害廃棄物の広域処理と製造物責任

 震災の瓦礫処理について大田区議会でも質問が提出されたとのこと。


災害廃棄物広域処理の課題 - 大田区 区議会議員:奈須りえ(なすりえ)日誌 災害廃棄物広域処理の課題 - 大田区 区議会議員:奈須りえ(なすりえ)日誌


 奈須議員の質問、というか問題提起を下記に抽出させて頂く。

  1. 災害廃棄物処理が進んでいないという指摘があるが、廃棄物全体の2割を占める広域処理受け入れが進まないことが理由とは思われない
  2. 石原慎太郎東京都知事は災害廃棄物処理の受け入れを表明したが、実際は都の清掃事業は都知事及び都議会の管轄でなく、基礎的自治体、つまり区の所管事業である。震災から一定の時間が経っている状況から鑑みて本来の事務手続きで進めるのが良いのではないか
  3. 災害廃棄物についての環境庁などからの安全性保証は根拠が不充分であるのに大田区長は受け入れを認めている
  4. 広域処理は善意によるものではなく国から補助金がおりる事業である。地域内での埋め立てによる処理の方が期間は長くかかるがコストが安くかつ地域での雇用確保につなげることができるのではないか

 石原氏が災害廃棄物処理を受け入れると表明されたことについては、次のような指摘がある。彼は大きな開発事業を計画するのが好きなようだが、公共事業の利権と無縁とは判断し難いとおもっている。


週刊金曜日ニュース» ブログアーカイブ » 瓦礫処理事業を受注する鹿島建設――役員に石原知事元秘書 週刊金曜日ニュース» ブログアーカイブ » 瓦礫処理事業を受注する鹿島建設――役員に石原知事元秘書


 上記情報も含め、震災に関する行政の動きや原子力発電所事故についての情報で必要と判断したものはブックマークしているし、その情報についてネット上ながら議論や意見交換をする。そうして意見をまとめていると、結局自分は自分がいままで使ってきた尺度からものごとを評価しているな、と再認識することとなる。

 その尺度のひとつが大阪市立大学で、特に田島裕教授のもとで学んだ英米法の方向から見たものごとの考え方で、特に製造物責任について。田島先生には1年だけお世話になり、その1年間の間に非加熱血液製剤による血友病患者へのHIV感染の問題をテーマに研究、発表した。2年目は田島先生が筑波大学大学院に移られたので寺田正春教授の民法ゼミにお世話になったが、同様に製造物責任をやった。

 福島第1に限らず原子力発電所において東京電力株式会社が製造物責任を問われるだけの立場にあることは、実際に事故が起きて計画的避難区域を設けざるを得なくなっていることからも、海を含めたより広い地域にも放射性物質が飛散流出していることからも導き出せる。


計画的避難区域、緊急時避難準備区域の設定(METI/経済産業省)

セシウム流出量は東電推計の6倍 海洋研が試算 : J-CASTニュース セシウム流出量は東電推計の6倍 海洋研が試算 : J-CASTニュース


 東京電力製造物責任が求められる、というのは今に至っては賠償責任があり、事前に説明責任がある、という理解で良いとおもう。賠償においては既に手続きを開始されているが様々な制約を設けようと難解な書面を被害者に提示したのはご存知の通り、説明責任においては事後ですら充分と言い難い。

 現在賠償手続きを開始いるのは避難をされた方を対象としているもので、この時点で既に電力の値上げが提案されている。汚染により出荷できなくなった農畜水産物を対象とした時に賠償できるのか。3年後5年後に放射線による影響での病発が続けて起きることが予想されるが東京電力に対して起訴となった時、その因果関係の証明責任はいわゆる製造者としての立場の東京電力側にある。恐らく原告としては因果関係が無いことを学者を取り込んででも証明しようと図ることが予想されるが、司法が有罪を告げた時に会社組織として賠償に耐えうるのか。

 さらには福島第1原発事故を公害としてとらえた時、賠償責任は国にも問われるであろうと思われる。

 災害廃棄物の処理については国や地方公共団体がいわゆる「製造者側」に立つことになると自分は認識している。災害廃棄物処理は製造物責任云々よりは行政法のなかで論じるのが正しいのかもしれないが、ここで言いたいのは製造物責任という法理が「危険を伴う製品については経済的に力を強い製造物側が因果関係説明責任、賠償責任を負う」という弱者保護の考えから生まれており、災害廃棄物処理においてもその弱者保護の考え方が当てはまる、ということ。

 私が危惧するのは、原発事故や瓦礫処理といった問題が「弱者保護」の考えでなく、上からの指示や利権によって判断されているのではないかという事である。そして後年問題が発生した時に判断した首長は職になく責任を否定するというような事態が起きそうだと容易に想像できる事である。

 現在の行政判断は東京電力のものも含めて住民からみて不利益に働きうる割り合いが大き過ぎる。事故が起きてしまったあとではあるが、未然に問題を防ぎうるような「仕組み」が欠けていると評価するのが正しいのではないだろうか。

 原発を受け入れた自治体への補助金や寄付金について賄賂的な側面が看過されている現状では真面目に論じるのが馬鹿らしくなってきている感はあるのだが、「仕組み」に著しい不備があると認められる限り繰り返し指摘しなければならないだろうと考えている。