時刻表の父

 鉄道マニアの中でも歴史クラスタという方々がおられればあるいは興味を持って頂けるかと思い、郷里の話題を書く。

 先月、2011年10月5日に山口県萩市にある須佐というJR山陰本線の駅の前でひとつの碑の除幕式が執り行われた。

「時刻表の父 手塚猛昌顕彰碑」

 というもの。

 時刻表というのは1894年(明治27年)10月5日に福沢諭吉の発案で、慶應義塾を出た手塚猛昌という人物が庚申新誌社という会社を興して発刊した「汽車汽船旅行案内」を発刊したのが本邦初であるのだそうで、この為10月5日は「時刻表の日」になっているのだそうである。上記除幕式はこの日に合わせて行われている。

 この手塚猛昌というひとが須佐のひとで、私の実家のごく近くに生家あとがある。須佐川沿いの細い道沿いで、私などは帰郷時に散歩する道である。本当に何の変哲もない田舎道で、現在当時を偲ぶような仕掛けはなにもしていないのではないかと思われる。ちなみにかつての椋家も同じ付近にあり、現在は萩市市立須佐図書館「まなぼう館」が建っている。岡部という家で、幼名は楮三郎といった。岡部楮三郎は貧しいながらも益田親施がつくった須佐育英館(現在の須佐育英小学校の前身)に進んで学んだという。 

 余談になるが、現在の椋家があった辺りは多根家という益田家の分家の邸宅があった。益田というのは毛利家の家老の家柄で江戸期は須佐に住んだ。上記須佐育英館をつくった益田親施はリーダーとして能力があったと思しい人物だが蛤御門変後に藩主に代わって責任を取る形で切腹するという不本意な形で歴史に名を残した。

 この多根家の娘と岡部楮三郎の兄定一が結婚しており姻戚関係にある。なんとなくうちに関係ありそうで関係ないという距離感で我が家としてはなんとも興味が沸く。

 なお、碑を建てるにあたり上記多根家との姻戚も含め手塚猛昌の業績についてかなり調査したようであり、その結果が見れるように前述の須佐図書館「まなぼう館」か下記須佐歴史民俗資料館に常設展示してあると良いと思うのだが、その辺りどうなっているのか東京にいてよく分からない。実家の父親にきいてみようと思う。

萩市須佐歴史民俗資料館(非公式)ブログ

 個人的には、「汽船汽車旅行案内」をプリントしたクリアーファイルが手元にあり、これが一番嬉しいかなと思っている。これも歴史民俗資料館でグッズ販売したらよろしいかと思う。