基本と応用のハナシ
2週続けて大田区合気道会の稽古は夏休みだったので久しぶりの稽古。
いつも通りに稽古しながら思っていた。
同じ技でもいろいろな入り方から稽古するのだけれど、もし自分が指導する側に回ったらそういった稽古のバリエーションを果たして提示できるかな、ということ。
一教から四教の抑えにせよ、入り身投げや四方投げのような基本技にせよ、片手持ち、諸手持ち、交差持ち、突き、正面打ち、横面打ちから、後ろ両手取りなど入り方はいろいろある。
その点私はとても単純な考え方の持ち主で、基本をみっちりやれば応用もできる、くらいに思っていて、あまり各論としては深く追求して考えようとしない。自分が大阪市立大学合気道部の主将だった時は同じ技ばっかりやっていてつまらなかったりしなかったろうかと今更ながら密かに心配になったりする。
まず基本ありき、という考えは植芝盛平翁先生が昇段について「一教の抑えと体の転換ができれば二段を認可する」と仰っていた、という話に根拠をおいている気がしている。実際他の稽古をしなくていいわけではないけれども、重点を置くのはここだ、というのが上記の言葉に表されていると思っている。そんなことで、基本が出来ていれば昇級昇段試験において何を言われても対応できる……という思いからこんなことを昔書いていたりもする。
合気道に限らず、李書文老師は騎馬式をまず徹底的にやらせたとか(吹田の天之武産塾道場で八極拳をならっている方に正しい騎馬式を教えてもらってやってみたら10秒とじっとしておれなかったという経験があり、本当にあれを基礎としてやるとしたらえらい事だと今も思っている)、郭雲深老師の半歩崩拳遍打天下の伝説だとかにどうも好意を持つ傾向が自分にはあると思う。
実際この歳になると稽古したことない技なんてものはなかなか無いし、あってもその場で説明を伺ってできると思っているが、自分が理解した体系を提示する用意というものはしておきたいと考えるようにもなってきた。