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椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

阿部醒石先生

 昨日2011年5月18日(水)の午後2時10分、私の合気道の師である阿部醒石先生が逝去された。心より御悔やみ申し上げる。

 本日はたまたま関西に出張していたのだが、大阪市内で勤務先のお客様と打ち合わせに入る直前に携帯電話が鳴り、すぐに出られなかったが留守電を聞いたところ大阪市立大学合気道部の先輩である青山さんから頂いた電話だった。内容が師範の訃報についてだったので一瞬茫然自失となったが、我に返って勤務を進めた。

 合間に青山さんに折り返しさせて頂き、確認させて頂いた。

  • お通夜 2011年 5月20日(金)19時〜
  • 告別式 2011年 5月21日(土)11時〜12時半
  • お香典は遠慮されるとのこと

天之武産塾合気道々場 も参照

 本日がお通夜なら勤務をなんとか段取りしてお悔やみにあがりたかったが、いったん東京に戻り、土曜日の告別式への出席を検討することにしている。

阿部先生の思い出

 阿部醒石先生に最初に稽古をつけて頂いたのがいつだったか、実は覚えていない。

 どこかでも書いたことがあるが、私が市大合気道部で稽古を始めた1991年当時、阿部先生はほとんど稽古には出ていらっしゃらなかった。ひとつ上の学年の先輩も昇級試験は師範代の木下先生にみて頂いていたので、おそらく年末の初段昇段試験の時だったろうか。

 奥様が亡くなられてからしばらく表に出られなくなったこと、数年後のお正月、初日の出の光が自分に差してくるのを見られて、亡き植芝盛平翁先生に(お前はなにをしとるんじゃ)と言われたような気がして、それからまた道場に出てこられるようになった……というような話を聞いたのは更に数年後のことで、かつ直接ではなく先輩からのまた聞きのような気がするのだが、忘備録的にここに記しておく。

 その後吹田の稽古、あるいは羽曳野古市道場の稽古に私もひたすら出た。阿部先生の稽古は独特で、まず稽古に出ているもの全員を呼吸投げで投げていって(大抵は片手取りから)ひととおり全員が阿部先生の腕をとって投げられたところで、今日は何の稽古をするか……という話になる。この稽古を何百回やったのだろうか。結局これらの稽古の積み重ねが今の私の基礎の主要部分を為している。

 所帯をもつ前くらいから私が道場に行く頻度が減ってきて、子供が出来てからはいよいよ少なくなった。

 ただ、大阪市立大学合気道部の創部35周年記念式典(私もこの時は演武をした)の宴の方で阿部先生の隣に座らせて頂き、いろいろな話をさせて頂いた。それももう9年前。東京にうつる前にも挨拶に伺ったが、いずれにせよ長い間失礼したままだった。

 もう一度稽古をつけて頂くつもりでいたし、合気道の稽古を始めた子供達も連れて行きたいというおもいもどこかにあった。近年阿部先生があまり稽古においでにならない、と聞いてずっと気にしていたのだが。

 今年になって家内と荷物の仕分けをしていたら、阿部先生と私が写っている写真がスタンドごと出てきた。吹田の天之武産塾合気道道場の稽古風景の写真で、偶然先生と二人で写っていたものを撮った方から頂いたもので、1996年11月5日のタイムスタンプがある。貴重に思って以前飾っていたものだった。なにかの知らせだったのだろうかと今になっておもう。

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