放射能より恐ろしいもの

 福島第一原子力発電所の事故が起きたあとの3月16日に家族を一度実家のある山口に戻した。結果的には次男を幼稚園の卒園式に出席させるため3月22日にまた東京に移動させることとなった。都内の放射性物質の児童・幼児への害と、尻切れトンボに次男の幼稚園通園を終わらせることの害を天秤にかけて、東京に戻すことを決めた。

 だが、もし資金的に余裕があるのならば西日本に子ども達を移動させておきたい、という衝動は今も持っている。ご近所で真剣に、海外に移住しようかという話しが出たと家内から聞いた時には可能ならば実行に移すのが良いが、と返した。そのお宅は親御さんは英語が使えるし、小学生ならば言葉も環境の変化も吸収できる……とおもう。我が家は……子どもはともかく、家内がそこまでの環境の変化を受け入れられるか分からず、何よりも私が今の仕事を辞めて国境を越えて職を求める甲斐性があるか自問すれば恥じ入るばかりでしかない。

 ただ、関東圏でも乳児幼児のおられるお宅、妊婦さんが西日本に移動されるのは決して早まった判断ではないと思う。福島県内についてはむしろ移動しなければならず、まだ移動されていない幼児がいるという話を聞くにつけ、これは優先順位を上げて行政が移動させるのが良いし、保育園・幼稚園・小学校といった教育機関もそれに連動して動いてほしいとおもう。

 先にも書いたように、西日本と言わず、海外に移動できればベストなのだが……というのが今回書きたい主旨になる。国内にいる限り逃げられないものがある、ということ。さもなければこの国に留まって立ち向かうしかないもの。

 昨年末くらいから私は大田区池上、第二京浜道路沿いにあるトーヨーボールの解体に関して2回ほど文章を書いた。この建物は内装にアスベストが使用されているが、第三者による調査が行われないまま解体工事が進められており、私が思うにおそらくある程度のアスベストは周囲に飛散している。「ただちに健康に影響は無い」のだろうが、十年単位で中皮腫の患者が出るかもしれず、出たとしても当人がトーヨーボール解体工事公示と関連付けて思い出せるか分からず、思い出せたとしても解体業者も大田区行政もアスベスト調査を国の補助事業で行うことへの陳情を採択しなかった大田区議も因果関係を否定しようとするであろうと思われる。日本という国で近代以降何度も繰り返され我々が見てきた光景がここにもある。

 このたびの原子力発電所の事故に関する東京電力の対応、素人ですら受け入れられないような説明をする学者、情報の公開を絞る官公庁組織は「我々が見てきた光景」をよりグロテスクに戯画化したようなものかもしれない。おそらくこれらは組織だって将来癌患者が発生したとすれば放射性物質の飛散との因果関係を否定しようとするのだろう。

 日本のありとあらゆるところにこのような、利権で絡められた企業と行政組織と政治家社会が存在している。日本には北海道から九州まで原子力発電所が稼動しており、アスベストを使用した建築物が建っている。日本国内どこにいても放射性物質や放射能汚水は漏れているかもしれず、アスベストは飛散しているかもしれないが、そのことよりも「ただちに健康に影響はない」と説明する企業や行政組織がどこにもいるということの方が恐ろしい事ではないだろうか。あなたが西日本に避難したとしても、そこにもあなたの日常の健康で文化的な生活よりも、ごく一部だけが本当の利益を得るだけの利権を守る事が大切だと思い込んでいるような社会が待っているのだから。

 ではどうすれば、ということについては、逃げているだけ身が守れないならば、少しづつでも自ら働きかけるしかないのだろうと考えている。選挙で投票せず、行政に対し要求せず、家で不安や不満を言っていても利権至上社会はわれわれを無視する。その光景を自分の子ども達には見せないようにするにはどうすれば良いのか、ということを常に考えれば小さいことでも自分に何ができるのか、見えてくるのではないかと考えている。