植芝盛平翁先生の銅像

 1ヶ月以上ぶりに稽古に行った。

 本日尾崎師範は、岩間の合気神社で開祖先生の像の除幕式があるとのことでそちらに参加されご不在だった。尾崎師範は東京都合気道連盟の理事長でもあるので大田区のスポーツ関係の行事にも、合気道関係の行事にも出席されることが多くご多忙だ。

 子供の稽古で師範代の先生が説明する際開祖を知っているかと聞くと、小学生たちはまぁ植芝盛平翁先生の名前を知らない。武道館での演武大会などに行ったことがある子は翁先生の写真を飾ってあることがあるからお顔を見たことはあるのだろうが。この機会をとらえて説明されていた。

 和歌山県田辺市高山寺に翁先生の墓所があるが、たしか翁先生の像もあった気がする。先生のお墓はなんどかお参りしているが、あるときふらっと独りで田辺に旅行し一泊した際お参りし、お墓の前の砂利に猫が糞をしていることに気がついて道具がないなか一生懸命掃除した思い出がある。

 茨城県岩間の合気神社はもともと斉藤守弘先生が守っていらした。ただ、先生ご本人からも聞いたことがあるが合気会、具体的には先の道主植芝吉祥丸先生が合気会の管理下に戻すように求められていたという。同じ合気会の中でおかしな会話だが、本家に明け渡してほしいというのは分からなくはない。それでも斉藤守弘先生存命の間は戻されることはなかった。翁先生の技をそのまま守り継ぐのが自分の使命ととらえられていた斉藤先生の矜持もあったのではないかと思うし、さすがに合気会の皆様も翁先生の高弟である斉藤先生相手に無理やりということも出来なかったであろうかと思う。

 斉藤仁弘先生が後を継がれて合気神社を合気会に明け渡され、同時に合気会を離れて岩間神信合氣道修練会を興され独立された。今回はその、合気会が新たに翁先生の像を建てられた、ということらしい。

 ただ不思議だったのが、合気会のサイトを見てもこの除幕式について何も触れていない。探してみたらおそらく現地で合気神社をみておられるのであろう茨城支部道場のサイトにも、出ていない。立像の建立くらいはたいしたニュースでないという判断なのか、単にサイトの更新が遅いのかわからない。

合気会茨城支部道場/ WHAT'S NEW!


 実際わたしも後世つくられた銅像などにはあまり価値は見出せないし、それでいいのかもしれない。大阪市大合気道部の師範道場である吹田の天之武産塾合気道道場にたくさん残っている翁先生の書のようなものこそ、翁先生の息づかいが残る大事なものだという気はしている。もっといえば、翁先生の教えて受けていま技と心を伝えている人たちに会い、稽古をすることが一番なのだともおもう。