グラントワの作り手の精神

 この夏訪れた島根県芸術文化センターグラントワ」の、石州瓦をつかった外観の建物は内藤廣さんが設計された。私は建築については門外漢で、内藤さんがつくられたものだ、ということの意味は最初わかっていない。

 調べてみると「松岡正剛の千夜千冊」で松岡さんが内藤さんの『建築的思考のゆくえ』を取り上げて書いておられる文章があった。






 朝日新聞で「未知しるべ」というコラムを連載していたのを読んでいたのだが、この人は職人や仕事仲間のことばかり書いていた。体温のない仕事など、おそらく絶対にしない人なのだ。
 その一方で、知の歪みや知識人の一人よがりにはけっこう痛烈な批評眼をもって対抗する胆力と洞察力をもっている。有名なのは、磯崎新群馬県立近代美術館について「これが建築なら、オレは建築なんかやらない」と言った例で、24歳のときの建築誌で月評を担当しているときの発言だった。またたとえば、9・11を前にした知識人たちのこれみよがしの善導思想には、短い言葉だったが、きっちり痛罵を投げかけていた。9・11をめぐった議論でのスーザン・ソンタグに比肩するに大江健三郎のいかがわしさも指摘した。

松岡正剛の千夜千冊『建築的思考のゆくえ』内藤廣 より


 建築、あるいは建物というのは芸術作品なんぞでなく、人が入って使ってなんぼである、という考えで貫かれたひとであるらしいということを松岡さんの文章から教えてもらった。

 先に書いたが、人口と比較した美術館の入館者数ではグラントワ内にある「石見美術館」は全国2位という実績をあげている。では1位はというと茨城県立天心記念五浦美術館で、この施設の設計も内藤廣さんの手によるものなのだという。論より証拠というか、内藤さんの精神がうわべだけのものでないということが現れた好例なのであろう。

 ただ上記をみてありゃ、と思ったが、先に同じように劇場を備えた複合芸術施設であるYCAM(山口情報芸術センター)の設計が磯崎新さんなのである。グラントワとYCAMは一見同じような施設を目指しているようにおもったが、実は作り手の視点からすると全く違うグループに属するものなのかもしれない。これは今後気をつけて取り上げるようにしようとおもう。

 このたび内藤さんについて調べていて、グラントワが遠くからでも訪れる観光地のような場所としてつくられたのか、地元のひとが気軽に何度も訪れる、西洋における広場のような場所としてつくられたのか、というと後者に該当するらしいという理解をした。それはそれとして、島根の近隣県(山口、広島、鳥取や九州北部)からリピーターが訪れるようにもなってほしいという気がする。そういう立場を取得できるぐらいの場所だとおもっている。