またひとりフィルタリングで見出された才能

 先にピアニストの辻井伸行さんを引き合いに出したことがあった。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝されてから、クラッシックファンならずとも注目を浴びているようにみえる。私などそもそもこのピアノ・コンクールについて存在自体を知らず、名前を冠されているヴァン・クライバーン氏についてもよく知らないし、その演奏を耳にしたことがあるのかどうかも覚束ない。

 辻井伸行さんのコンサート・チケットは既に入手が難しい状況らしい。iTunesで検索したら、ダウンロードできるアルバム作品は高い人気を示している。先日ショッピング・センターの中にある島村楽器で子供たちがピアノだのドラムだのを夢中で叩いていた際ふと店内の一角を見たら、辻井さんのCDや書籍で1コーナーできているのを見た。彼が幼いころ、母親が与えたおもちゃのピアノは注文殺到というニュース記事も見たときにはちょっとアホみたいという気になったが、それは日本という国にまだ余裕があるからだと好意的に見よう。ただ、テレビ業界にしろ音楽業界にしろ出版業界にしろジリ貧だから、この糸にしがみつきたいというおもいはあるかもしれない。

 ニュースのときにちらっと流れたくらいだったが、先日NHKの番組に彼が出演されていて、最後に1曲弾くのは聞くことができた。

 僕に辻井さんのピアノを評するだけの資格はないかもしれないが感じたのは、多分技術的には素晴らしいのだろうとおもう。ただ、聞くものを圧倒するようなチカラがまだ足りなくて、これから経験を積んでいってそのチカラを手に入れるかもしれない、そういう可能性を持った音楽家なのだろうと。今コンサートのチケットを入手する人たちも、そういう期待を込めて聴きにいっているのだとおもっているのだけど違うのかな。コンクールで優勝したし、既に素晴らしいピアニストだ! という風になっているのかな。

 ちょっと前に読んだ、佐々木俊尚さんが書いた文章を思い出した。

個人の狂気を見い出すフィルタリングシステム:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan


「権力」とか「空気」とかいうものが権力を持つ日本においては個々人が構造化を図るということが苦手であって、権力構造をつくることを諦めた暇人が暇に飽かせてつくりあげたものが凄いことになったりした。天才をフィルタリングするシステムを作ってきたのだ、というような主旨だったと読んだのだが、辻井さんも両親の狂気(ある意味の)が育てた天才という見方ができるのだろうか。

 ちなみにWidipediaを参照すると、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの優勝者にはコンサート契約が多数付随していて、そのコンサートをこなすうちに消耗してしまい大成しない、などという物騒なジンクスがあるのだという。辻井さんがこのコンサート・ツアーを経験に変え、ジンクスをはねのけて、なだたるピアニストと遜色ない音楽を生み出せるようになってほしい。