スーパー保育士かもしれないのに

 私は狭心症様の症状が出ることがあって、定期的に病院に通っている。つまり胸が締め付けられるようになるので、毎朝飲む薬があり、ニトロペン舌下錠も持ち歩いている。

 大阪在住時からのことで、吹田の国立循環器センターに通っていたのだが、そのときの主治医さんが「実は狭心症ではなくて、ストレスによるものではないのか」という判断から心療内科にも行くことを勧められ、桃山台の駅前にある「ひまわり心療内科」にも並行して通っていた。

 いっときはいずれ心療内科での治療にシフトするような方向だったのだが、東京に来てからお世話になっている慈恵医大付属病院の医師はやはり狭心症としてみられている。荏原町にある心療内科にも2回くらい行ったのだがこちらでもあまり積極的にみてもらうこともなく今に至っていてる。

 上記「ひまわり心療内科」に初めてかかったときのことなのだが、仕事を聞かれて勤めのSEであると話すと医師が「ああ、SEは多いですねぇ」と言われた。「ちょっと、おかしな業界なんじゃないか、と感じてます」と。これについては反論すべき言葉がない。

 続けて「次に、保育士さんですかね」と言われたのが印象に残った。

 その後子供が幼稚園に通うようになり、それぞれ私立の3年保育でお世話になっている(長男はこの春卒園した)わけだが、様々な親がいたり子供がいたりするわけで、担当保育士個人の負担が過重にならぬよう注意しなければ確かに大変な仕事だと実感した。うちが通わせている幼稚園はその点いろいろ考えているようで信頼しているのだが、一般にはどこの幼稚園でもそうなわけではなく、また保育士さんの収入もそんなに高いとは言えないと聞いたことがある。

 なんぞということを、下記記事を読んで思い出していた。

保育士採用試験:全盲女性を門前払い 大阪市 - 毎日jp(毎日新聞)


 声や髪型、しぐさや匂いで園児を認識し接している、保育園で7年以上の実務というからかなりレベルの高い保育士さんなのではないかという印象を持つ。先だって辻井伸行さんというピアニストが国際ピアノ・コンクールで優勝して話題になっていたのを思い出すが、分野が全く違えど高い技量を誇っているという点では変わらない気がする。

 呼んでも来てくれない人材(人財)かもしれないのに評価するまえに機会を破棄するというのは、大阪市もいよいよジリ貧ということなのか、それとも日本における行政組織の大半がそんな先例遵守、マニュアル至高の感じなのか。

 よそから移ってでも住みたいまちというのは行政が生活の現場をよく知っていて、個人に焦点が当たっているのではないかという気がする。その対極の例かもしれない。ここで「是非うちにきてほしい」という市町村が現れたら格好いいだろうな。