試験に「間違い」はないという話(審査するほうがしっかりしている前提だけど)

 大田区合気道会の稽古は今日は、昇級・昇段試験だった。終わってから師範に「あんまり稽古できなかったね」と声をかけられたが見取稽古も稽古のうちだ。

 試験のなかで、師範がある組みに与えていたのと違う課題を言ってしまい、「間違えました」と言ってもともとの課題をさせた場面があった。私などはそれは「間違い」でなく、師範が言われたらそれが正だとおもう。以前にそういうことを大阪市立大学合気道部のサイトで書いたのを思い出した。引っ張り出して再掲。







他の大学合気道部の昇級試験と、大阪市立大学合気道の昇級稽古をみて、書き綴った文章があるのでまとめ直しておくことにする。先に書いた『稽古のときの心構え』とは要点が違うはなしなのだが、同じ題名を冠しておく。

どういうことを書いたかというと、「試験は普段の稽古通りに進むとは限らない」 ということを意識しておく必要がある、ということだった。

受けが普段稽古しているひとになるとも限らないし、準備していなかったことを試験として科されることもある。そういう事態全てに、試験を受けるものは対応することが求められる。

それも、「試験の対策」という自己完結的な目標で求められるのではなく、 普段の稽古のレベルを高めておかないと、「当たり前」のレベルを高めておかないと、役に立たない、そこを見られるのだ、という意味でのことである。

具体的には、

1.常にあらゆる事態を想定して稽古をする。

2.外にも出かけていって、稽古をする。

というようなことを想定して書いているのだが、マニュアルを読んでそれに従うようにそうするのではなくて、自分で目標を設定し、自分の頭で考え、反省するということの癖付けを普段の稽古からするのである。(ここらへん、普通に仕事をするのとなんら変わりはない)

別の書き方をすると、自分の為に稽古するのだと意識する必要がある。誰かにやらされてるとか、先輩が言ったからとか思ってやっているとしたら、時間がもったいない。

稽古のときの心構え(2)試験のはなし大阪市立大学合気道部 合気道ノート)


 2004年の7月の日付がついている、5歳になる下の子がうまれた直後くらいに書いている。ここに書いてある考えは、今も変わっていない。