裁判員制度の各論問題、性犯罪について

 つい先日自分も裁判員制度について書いていたが、こんな問題提起が注目を浴びているのをはてなブックマークで知った。

八木啓代のひとりごと 緊急;血の凍るような話が明らかに!


 各論としてこんな問題もはらんでいたのか、と改めて裁判員制度全体を見直す必要を認識した。

 先にいうと、署名は提出していない。既にアジア女性資料センターが署名をとりまとめ、最高裁判所に要望を出したことを毎日.jpの記事で読んだ。その記事の最後の部分は、元となった読売新聞の記事にも書かれている内容すなわち、2008年1年間(暦か年度かは不明)に発生した刑事訴訟のうち裁判員制度適用対象となり得るのが2,324件、そのうち問題となる性犯罪が約2割の468件である、をそのまま(というかちょっとはしょって)書いている。まあその使いまわしについてはいい。

 性犯罪の裁判運用についての問題を指摘した読売新聞九州版の方の記事だが、「裁判員の候補者に被害者の氏名や事件の概要を告げることは避けられない」「裁判員には守秘義務があるが、候補者で終わったものには守秘義務はない」というところが今回非難が集まっている部分だ。記事では、この判断を下したのが誰なのか、よく分からないように書いてある。

 最高裁は「リスクはあるが、各地裁で問題ないよう運用してもらう。対策方針は示さない」と言っているように読める。問題提起したいがため、センセーショナルに書いてしまった感がないではない。

 問題は非常に高いリスク(起こった場合取り返しがつかない)があるのに、具体的対策・方針を最高裁が示していない、という点にあるのだろうとおもう。

 改めて考えたのだが、他国で豊富に施行事例のある参審制(裁判員制度を参審制のいち形態と考えて)なのだから、総論で入るのではなく、対象となる刑事訴訟の各論から立法し直すようにした方がいい制度になるのではないだろうか。

 殺人事件であればこう、危険運転致死罪であればこう、というように起こりうる問題や裁判員が参加する利点を具体化し、それにもとづいた制度にする。各論からボトムアップで制度をつくり、総論を導き出す、ということにしてはどうか。そもそも性犯罪は裁判員制度に馴染まない、という判断があってもいい。

 立法も司法も「司法にも国民参加を」という「総論」の実現を成果として示したいのではないかと疑っている。だから各論の問題を現場に押し付けて済まそうとしている。性犯罪についてつけたりで対策を明文化すれば良い話、ではないと考えている。