裁判員制度について調べてまとめ

 先週だったか先々週だったか忘れたが、りんかい線の車内の週刊誌の吊り広告で「裁判員制度はいらない!」というのが大々的に出ていた。

 私は大阪市立大では法学部に在籍し、英米法の田島裕教授のゼミで1年間お世話になった。田島先生は次年度に筑波大学大学院への転籍が決まっておられたのだが、他のゼミよりも自分にとって興味が持てる内容だったので妥協せずに一年間、お願いした。田島先生には現在年賀状も出せていないのだが、現在獨協大学におられるようだ。

 英米法といえば陪審制があるから今回の裁判員制度にも興味を持っていてよさそうだが卒業以降は法律から遠ざかったままだ。裁判員制度にそんなに反感があるのかしら、という認識だった。「報復を受けるリスク」だとか、「俺に人なんか裁けない」だとか、本来はそういう問題ではないのにな、と感じて調べだした。

 ネットであちこち見たわけだが、下記が自分の判断に影響したかな、と。

陪審員と裁判員の違い

 そもそもなんで「陪審員」と違う名前なんだろう。その程度の認識から私は調べ初めている。

 陪審とは、一般市民から選ばれたチームが刑事訴訟、民事訴訟の審理に参加し、裁判官とは独立した評議会を開いて刑事訴訟の場合「有罪・無罪」を、民事訴訟の場合は「被告の責任の有無」を評議会全員一致で判断する。

 これに対し、裁判官と一般市民により評議会を開くのが参審制というらしい。ドイツ、フランス、イタリアで採用されているとのこと。コモン・ローに対比される、また日本がモデルとしている大陸法の国でも、陪審の考え方は取り入れている。

 陪審員の雰囲気というものは『十二人の怒れる男』という映画が想起されるのではないだろうか。たしか『古畑任三郎』で明石家さんまさんが客演された時、冒頭部分でこの映画の筋に出てくるネタがそのまま使われていたと記憶しているが、三谷幸喜さんもこの映画は多くの人が見ているだろうから、ということで使われたのだろうとおもう。

十二人の怒れる男 [DVD]

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 日本も大きく遅れたながら、陪審の考え方を取り入れようとしているということなのだが、陪審制でも参審制でもない「裁判員制度」が出来ようとしているという理解をしないといけないらしい。

  1. 陪審制(アメリカ)では被告が陪審を利用するか選択する ←→ 参審制や裁判員制度は裁判所が裁判員を招集することを決定する
  2. 陪審制や参審制では陪審員は無罪・有罪のみを判断する ←→ 裁判員制度では量刑まで判断する
  3. 陪審制は刑事裁判、民事裁判両方に適用される ←→ 裁判員制度は重大な刑事裁判に限る
  4. 陪審制は国により守秘義務に幅があるが、例えばアメリカでは審議後に評議内容について話すことは自由 ←→ 裁判員制度は評議内容の守秘義務は生涯に渡り違反には刑事罰が課せられる
  5. 陪審制や参審制では資格者から推薦などにより陪審員が選出される ←→ 裁判員は選挙人名簿から無作為に選ばれる
  6. 陪審制や参審制では主に任期制がとられる ←→ 裁判員制度では案件ごとに裁判員が選出、召集される

※参考
陪審制 - Wikipedia
裁判員制度 - Wikipedia

裁判員制度の妙な重さ

 比べてみると冒頭の雑誌見出しのような「自分に人を裁くなんて」というセリフが出てくる背景が見えてくる。裁判員制度は「有罪か無罪か」だけでなく「死刑か懲役刑か」まで一般市民に決めさせようとしていることになる。

 上記学生時代に購入した書籍で『死刑執行人の苦悩』という大塚公子さんによるドキュメンタリーを思い出した。この本によって私は絞首刑台のボタンを押す刑務官が負う心理的ストレスについて知ることができた。

 今回施行されようとしている裁判員制度では、裁判員にもその一端を担わせることが盛り込まれている。無期限の守秘義務がさらにその負担感を増大させることは、なるほど明らかなように想像される。

死刑執行人の苦悩 (角川文庫)

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 参審員の場合選ばれるまでに推薦による一定の選任判断があるそうだが、裁判員は完全無作為とのこと。更には裁判員に選ばれた場合、理由無く拒否すれば違反金が課せられることになっている。虚偽の理由申告が露見した場合は50万円以下の罰金、理由無く参加しない場合は10万円以下の罰金。いつ来るか分からないのに、ほぼ強制であることがより負担感を与えている。

 守秘義務については法学研究上の立場から、また報道の自由の立場から反対意見もあるようだが何よりも、評議内容はおろか裁判員に選ばれたこと自体を他に漏らしてはいけないというのだがそんなことが実現可能だろうか。裁判員に選ばれたとの通知をmixiに書いたというひとがいたのは昨年なにかで読んだが、家族も含めてずっと黙っておくということは、課せられる役務にくらべて重過ぎるだろう、というのがなるほど分かってくる。

ネットがある時代の制度として

 もうひとつ、報復などへのストレスだが陪審制が機能した時代と今このときの違いについては充分に考える必要があるが、考慮が足りていないのではないだろうか。

 別の観点だが、今はニュースやネットなどのメディアが裁判員に影響を与えることのほうが普通であろうと考えられる。マス・メディアが第四の権力(日本においてマス・メディアの仕事には行政、政治家、企業からの圧力に影響を受け過ぎているようで問題が多いが、影響力を持っていることは間違いない)である以上、さらに「世間」が影響力を持つ日本においては、裁判員が様々な色眼鏡を持ち得ることについて考慮が足りないのではないか、と思われる。

 これは他の国の陪審制、参審制でも指摘されていることだそうだ。その反省点を取り込めているのだろうか。

 で、「報復」だが、ネットがあるということは裁判員の特定をするツールにも使われうることになる。どの程度裁判員のプライバシーが保護されるのか見えてこないのだが、万一被告が裁判員の顔を見る、あるいは氏名を知るだけで住所や電話番号などを調査することが可能になる。たしかイエローページの情報をつかって連絡先を検索するサービスをどこかが提供していると聞いた記憶がある。探偵だの組織だの使わなくても、個人情報の検索が可能な時代になっている。

 もし報復の危険を感じた場合、救済措置は考えられているのだろうか。守秘義務を守ろうとして救済を求めることが遅くなるリスクがあるから、あらかじめ措置を講じておく必要があるのだが、現時点で具体的なところまで落とされていないのではないかという危惧が感じられる。

 司法や行政もネットについて知識の豊富なひともいるはずだから何も考えていないことはないと思いたいが、組織内外の横連携ができていないことが得てしてあるから、この危惧があたってしまっているのではないかという気がする。

そもそもの問題は

 なぜこのようなことになっているのだろうか、というと「制度が骨抜きにされている」という理解で良いらしい。

 現在の日本の司法が裁判官の判断により過度に占められている、という問題意識は私が既に大学生だった20年ほど前にも既にあったし、現在も変わらない。国政選挙の際に最高裁裁判官の任免投票も行われるが、その投票が意味をなしているとはとても思えない。

 弁護士の方にもそのような問題意識を持たれている方が多数いて、国民の参加により裁判の判決の適正化をはかるべき、との声があったらしい。

 それを受けて小泉純一郎内閣下で法案が国会に提出されたのだが、立法としては「日本もちゃんとやってますよ」というポーズをとりたかったというのが本当ではないか、ということらしい。

 そこへもってきて司法も今までの自らの領域を守りたく、制度の適正さとは別の観点でいろいろな骨抜きをはかった影響とみられるのがほぼ無期限の守秘義務であったり、陪審制でないスタイルであったりということだろうか。既得権益(なにが権益なのかはよく見えていないが、仕事の領分も含めて)をまもろうとする動きがするあたり、官僚組織と共通の問題があるのだろう。

 独自な制度は海外の司法からはひとつの実例として注目されているらしいのだが、本当に実例足りうるだろうか。

小林恭子の英国メディア・ウオッチ  : 英陪審制とメディア報道(下)


 肯定的な評価が出たとしても、それは偶然の産物に過ぎないのではないだろうかとおもう。また、批判がなされたとして、それを制度に反映している柔軟性が日本の司法や立法にあるだろうか。

 今月5月20日から裁判員制度は施行され、7月頃から実際に裁判員制度による裁判が開かれることになるそうだ。間に合わない感が強いが、自分のためにまとめてみた。