まちの「行きかた」について

 先日書いた「奈良の実家がなくなります」に id:oriono さんからコメントを頂きやりとりをしていて、更に触発されるような記事とニュース特集を読んで別に書きたくなった。

 ひとつは「日経ビジネスオンライン」に出ていたネット記事。ひとつはテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」の「再考 日本の家」という特集コーナー。 

 最初の日経ビジネスの方は環境考古学、という聞きなれない分野が専門の安田喜憲氏のインタビュー。

イースター島のモアイを作るのには大量の木が使われた。木を伐り過ぎたためにイースター島は衰退し、モアイだけが残った」という仮説は以前聞いたことがあったが、「ギリシアもローマも森を伐採したことにより文明全体が衰退した」という説は初めて知った。説というより、花粉の調査などから証明されている考え方とのことであり。

 環境考古学という研究から、多神教から一神教 → 森への尊敬から森の伐採 → 文明の衰退、という論理が導かれるというのはなかなかおもしろかった。

 日本は元々「八百万の神々」という言葉に象徴される多神教の文化を持っている、多分。明治以降の国家神道や(ましてや草加に)かつての柔軟な思想が保たれているとはおもいがたいので安田氏の言われるように日本から今後の世界を導くような文明の発信ができるかどうか危うい面もあるのだが、他の同様の文化と連携すれば、確かに無理な課題ではない。

 などということを感じているところで「ワールドビジネスサテライト」を見た。「建ぺい率」をテーマに取材されていたのだが、この「建ぺい率」(敷地における建物の割合)が行政により画一的に決められているのが害をなしているのではないか、という取材意図を番組にしたものだった。

 その中で、白馬村で住民が自主的に建ぺい率を抑えていることを伝え、一方で不動産業者はそのことが不満なようで、「さくら不動産」というところのひとがインタビューで「(建ぺい率をあげておけば)もっとチャンスがあったのに。それで資産価値が下がるのでよければそれでよいのですがね」と住民に嫌味を含んだ不満を述べていた。

 これは、正直でよろしい。商売人として成長にふたをしていることをテレビカメラの前で公開してしまったことはともかく。

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 不動産業者の多くは安田氏が指摘する「今の資本主義」の中で商売をしていることを示しているのであり、業界団体はその論理でもって政治家などに働きかけていまがあるわけだ。

 政治家や行政官僚はその意向を近視眼的に受け入れることがしばしばあり、逆に都市部においては硬直的に適用された建ぺい率が不公平感を生んでいても放ったらかし、ということもあるようだ。

 それに対しては、地域が継続的に話し合いを持って、最適な解をもって行政を使役するのが良いのだろうな、とはなんとなく考えている。

 とはいえ、「地域コミュニティを再興するなどというのは百害あって一利なし」という意見を読んでそれはそれでうなずける点を感じたこともあり、コミュニティがいったん破壊されているような場合においては容易なことではない、絵に描いた餅のような話であることも分かっている。

 もしかしたら明治期以降分断統治を目指してたゆまず地域の破壊は続けられてきたのかもしれず、今の状況が思う壺なのかもしれない。そう思うからこそ、普通の住民が無理せぬ程度に意識を高める必要があるのではないか、と思っている。