椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

大分のことば

 実家にいてテレビを見ているが、最近テレビが面白くないぞと思っていた中、思わずみいってしまう番組がいくつかある。先ほどは久しぶりに「たかじんのそこまで言って委員会」(よみうりテレビ)をテレビで見た。Youtubeへのアップロード頻度が高い関西ローカル番組だが、部落差別問題をテーマにかなり現実的な内容が語られていた。私は大阪市大在学時に部落問題にかかわっていたのだが、その立場からも参考になる話が多くあった。

 昨日は「報道特集NEXT」を見ていた。

 以前からレポートしている、難病にかかったひとを改めてレポートし、「大量殺人や自殺が絶えない今年の最後に、いのちの大切さについて取り上げる」という内容のものだった。

 なかで先日亡くなられた、山田泉さんが取り上げられていた。

「いのちの授業」をもう一度―がんと向き合い、いのちを語り続けて

「いのちの授業」をもう一度―がんと向き合い、いのちを語り続けて

 私はこの方を訃報で初めて知ったものだが、山田泉さんが「いのちの授業」を続けられたのは明確な目的があったということがとてもよく理解できた。上記のように自殺を望む子供がいたり、「死ね」などという言葉を平気で使うことに対し、命に明示的に限りがある自分こそ命の大切さが伝えられると考えておられたのだ。

「人生で最も大切なこと、それは家族と友人です。自分の最期にそばにいてくれるひとが大事」というような言葉の強い説得力に首肯しながら見ていた。

 ただ人間というのはそういうことに感動したりしながらどうでもよいことが気になったりする。山田さんはじめ出てくる方々の言葉が地元の言葉とほとんど変わらなかったので(あれ? 山田さんは大分の保健室の先生だったけど山口の話だったかな?)などと思っていた。父親にその感想を話すと「そうや、大内があそこまで領有しとったからな」とのこと。

 大内というと毛利よりも前だから戦国期以前になるが、司馬遼太郎さんは『街道をゆく』の「阿波紀行」のなかで「京都弁のルーツは、阿波が本拠の三好氏の長期支配の影響を受けていると考えれば、阿波弁ではないか」ということを書いておられたが同じようなことが大分弁にもあるわけだ。地理的に近いというのもあるかもしれないがどうだろうか。

 近くの北九州は長州弁との類似点はそんなに感じないから、海路でのつながりが関係していたら面白いような気がするが、その辺り知識がない。

 大分といえば博多在住の子供のころ、臼杵に旅行に連れて行ってもらった時以来行っていない土地だが、今改めていくと面白い発見がありそうな気がする。

 そんな脇の話まで、年末のテレビから分けてもらってしまった。

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