椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

加筆

マチともの語り」に連載をはじめた『息長川ノート』の「古新未詳」の章に加筆を行った。

 この章では、大伴家持と大伴池主が訪れた馬史国人(いまのふひとくにひと)の本拠地はと万葉集に記載されている伎人郷(くれひとのさと)ではなく別の場所だとされているが、それは近江国かもしれず、山城国かもしれない、ということを書いた。

 これについて中九兵衛氏に読んで頂いたところ『続日本紀』には別の箇所に、

「在京の下従五位下馬毘登国人(うまのひとくにひと)と河内国古市郡在住の正六位上馬毘登益人(うまのひとますひと)ら四十四人が、武生連(たけふのむらじ)の姓を賜った」

 との記述があるので、本拠地は河内国古市郡で良いのではないですか、との指摘を頂いた。そのご指摘について加筆をした。

 古市というと合気道の道場が誉田八幡宮のすぐそばにあり稽古に通った場所なので馴染み深い。ただ知っているのは近鉄南大阪線より西側で、東側の石川が流れているあたりについては土地勘がない。その石川が馬史国人が歌に詠んだ「おきなががわ」である可能性もゼロではないということになる。

 それはそうと、更新をしたらこの章のアクセスカウンタがリセットされたみたい。そういう仕様だろうか? あまり気にしていないのだが、たまたまアクセス数を再確認する場面があって気がついた。

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