溶連菌感染後急性糸球体腎炎での入院録

 うちのこどもふたり、5歳と3歳が同時期に「溶連菌感染後急性糸球体腎炎(略称PSAGN)」という病気と診断され、長男は26日、次男は11日という入院をした。

 現在は退院し、通院は続くものの幼稚園への登園許可も出たが思わぬ長期間の入院で親としては不安を感じることもあった。もちろん一番的確な情報は医師や看護師から得られるものなのだし、誰でもかかる病気でもないのだが、同じ病気にかかった親御さんの参考にして頂きたく経緯を書き記す。

5月29日(木)きっかけ

 きっかけは血尿だった。

 長男が朝幼稚園に行く前に自分でおしっこが普段と違うオレンジ色をしていることに気づき、母親をトイレに呼んだ。

 最初は家内も一時的に色が違っているのかどうか判断しかねたためその日は幼稚園に行かせたのだが、帰っても同じ色であったため携帯電話で私に相談してきた。

 ちょっと調べてもいろいろな病気が想定できた。また、合気道をやっていると脾腹を強打し腎臓にダメージがあると血尿が出ることがあることもすぐに想起した。いずれにせよ検査が必要と家内と話す。

 当初、かかりつけの近所の小児科に行くか、総合病院に行くか迷った。総合病院といっても、東邦医大など大学病院は急病か特殊な症例に限られるので大森赤十字病院ならどうだろうか、と話し、家内は翌30日に大森日赤に長男を連れて行った。

5月30日(金)入院から病名確定まで

 この日私は珍しく社外に出ていて、豊洲で昼食をとっていた。そこへ家内から携帯電話。

「今日赤で見てもらっているけど、どうも入院になりそうって言われている。すぐ帰ってきて」との緊張した声だった。仕事場に寄って最低限できる調整をしたうえで退勤し、大森日赤に向かった。

 長男は検査をいくつもしたらしく、終えて帰ってくるとすでに点滴をしていた。終わったら即個室に入院となった。

 幼稚園に行っていた次男は延長保育してもらい、その間に何を準備するか家内と相談。それでも保育時間内に用事が済まず、私が次男を幼稚園に連れて行ったら担任の保育士さんの膝の上で半分拗ねていた。長男と次男の担任保育士さんが出てきて下さったので状況をお話ししたが、この時点ではまだ病名も告げられていなかったのでそれほどの話しはできなかった。

 この日は次男と私が自宅で、家内が長男に付き添って病院に泊まることになった。

 病院によっては、完全介護ということで子供が泣こうが叫ぼうが親は帰宅するよう指示されることもあるそうだが、長男が幼稚園の年長という微妙な年で病院で一人になることをとても嫌がったため、申請書を書いて親が付き添うことが認められた。

 実際、入院最初の2週間ほど長男は病室でひとりになるとすぐに親の名前を呼び(夜昼は関係ない)1分か2分そこらでもいないとしゃくりあげて泣きだしていた。食事にも満足に行けない。子供は食事に塩分などの制限がかかるため、病室でこっそり食べるのも可愛そうで我慢していた。

 ところが小児科の入院病棟は子供間の感染を防ぐため親以外は基本出入り禁止となっている。兄弟は入れない。

 そのため付き添いを交代する際、親が病室に入ると次男が泣くし、外に出ると長男が泣くし、という状態で充分なコミュニケーションが取れなかった。病室内は携帯電話の利用も控えていたので、これが親にとっての大きなストレスとなっていた(この苦労は後に徒労だったと分かるのだが)。

 もうひとつストレスだったのは、病名がなかなか告げられなかったこと。

 あとから振り返ると、医師で考えられていたのは

(1)アデノイドウィルス(アデノウィルス)11型などによる膀胱炎

(2)溶連菌感染による腎炎

 のいずれかだったらしいのだが、検査結果、特に血液検査の結果が出揃うまでなかなか病名を言って頂けなかった。血液検査は院外に依頼されるらしく、数日から一週間かかるらしいのである。回診の時病名を言いかけて「……いや、検査が出揃ったらご説明しましょう」となるので内心(う〜〜!全く言わないかハッキリ言うか、どちらかにしてほしい!)と思っていた。

 そんな状態で私と家内と交代で病院に詰める一週間が続いた。幸い家内のお姉さんがスケジュールをやりくりして駆けつけて下さり、長男も付き添いが伯母でも大丈夫だったので数日間は息をつけた。

 この間長男は点滴でつながれた状態でベットの上でよく我慢していた。尿は全て採取してガラス製の大きな瓶にためるので、親がついていってカップで受ける。行動範囲はベッドとトイレの往復のみである。

 プレイルームに設置してあるビデオを見る、塗り絵をする、子供雑誌の付録をつくる、といったことにに熱中できることが分かったのでクーピーと塗り絵をもっていったり、雑誌を買っていったりしていた。

6月5日(木)診断確定

 医師から検査結果を見せて頂き、入院1週間経って溶連菌感染後急性糸球体腎炎という診断だと説明を受けた。

 検査結果のポイントは2点。

(1)潜血
(2)血清補体価

 血尿は数日で収まったように見えていたが、検査すると実際には血は出続けていた。それも顕微鏡で見るまでもなく、検査紙で最高値+3を振り切ってしまう。血尿といっても目でみてわからないもので、通常「潜血」と呼ぶことを今回初めて知った。

(2)の「血清補体価」というのがまた耳慣れない。血清中に残っている「補体」の総和値のことで、「補体」とは感染防御や炎症反応に働く糖蛋白と抗体の総称らしい。素人説明なので多少間違いがあるかもしれない。

 素人理解で言えば、溶連菌の感染で抗体をたくさんつかってしまい残りが少なくなってしまったということ。「補体」は肝臓で作られるそうだがそんなに急に回復したりはしないものらしく、30台の値が正常なところ12〜13の低値となっていた。

 潜血は数ヶ月から半年くらい残る例もあるらしいが、血清補体価は2〜3週間で通常戻ってくる。もし戻らなければ慢性腎炎を疑わなければならなくなるがそのような例はまれで、予後の良い病気ですからそんなに心配されないで、というご説明だった。ただ、この「2〜3週間」にも悩まされることとなる。

 病名が分かったところではたと家内と義姉が気がついて、次男も検査をして頂くようお願いするとまず溶連菌で陽性が出た。尿検査では+1と少ないが潜血が出る。この時点で通常兄弟が同時にかかるような病気ではないという判断だったが、血液検査もして頂くこととなった。

 急性糸球体腎炎じたいは主に子供がかかる病気と理解していたが、親御さんも溶連菌の検査をしておいた方が、といわれたので私は「Kクリニック山王」で、家内は子供のかかりつけである「すずきクリニック」で調べてもらった。溶連菌の検査は5分程度で結果が出る。親はどちらも陰性と判明した。

 長男は最初の1週間は抗生物質の投与を点滴で受けていたが、2週目は飲み薬にかわっていた。最近の薬は飲みやすい味付けになっているらしく、元々飲み薬を嫌がらない長男はむしろこの粉薬を水で溶いたものを喜んで飲んでいた。ただし、病院食は野菜が多かったりしてどうしても食べ残しが多かった。

 さて義姉はそんなに長く家を空けて頂く訳にもいかず診断が出たあとの週末に帰って頂きいた。たまたま旅行のあと東京に寄っていた私の父親も来てくれたが、そのあとは私も仕事を休み、家内と交代で長男の付き添いと尿とり、次男の幼稚園送り迎えをこなしていった。

 ここで助かったのが、看護学校の学生さんがひとり、実習で長男について下さったことだった。実習生さんがいると、多少親が離れても大丈夫になる。食事ぐらいはちょこって行けるようになった。

 また、幼稚園ママたちがお見舞いにと「ポケモン図鑑DP」というゲーム機をプレゼントしてくれていた。これをやりだすとまた、多少離れても大丈夫である。ゲーム機を与えるのは尚早の考えていたので複雑だったが、背に腹はかえられなかった。

6月13日(金)まさかのダブル入院

 次男の血液検査結果を聞きに連れて行ったところ、次男も「血清補体価」が12程度に下がっていて兄と同じ溶連菌感染後急性糸球体腎炎と診断された。家内は落胆したし、私も平静に医師のお話を聞いているようにしようとしたが、やはりがっかりした顔をしていたと思う。とにかく即、兄弟同じ病室に入院となった。前の週に長男は個室から三人部屋に移っており、ひとり相部屋の男の子がいたのでいきなり満室となった。

 次男も早速瓶とカップを用意してもらって尿を全て採取することとなった。次男は最初から点滴なし。長男もちょうど2週間経ったところで点滴が外れていたので、今度は兄弟を静かにさせておくことが大変になった。抗生物質はあくまでも溶連菌に対して投与されているもので、急性糸球体腎炎については実は薬などない。じっとしておくことが唯一の療法となる。担当医師が「退屈病ともいいましてね」と言われるくらいで、長男は血尿だけ、次男にいたっては目立った症状はなにも出ていない。従ってしょちゅう叱り付けて静かにさせるようなことになる。

 ちなみに急性糸球体腎炎は血尿以外に尿量の減少、むくれ、浮腫、高血圧といった症状が出る場合があるそうなのだが、今回血尿しか症状はなかった。次男にいたっては、長男が気がついていなければ病院に行くこともなかっただろう。想像だが、病気と気づかないでそのままにしているような例がたくさん潜んでいるような気がする。

 次男と長男を比べると、次男の方が尿の量が少ないように見えてちょっと心配したが、看護師さんに聞くと大丈夫とのことだった。次男は夜だけオムツなので、その分は看護師さんが重さで尿量を見て下さっていた。それと合算するとそれほど少なくも無かったのかもしれない。

 ここで子供が病室一箇所に集まったことにより、いままで長男と次男を分担してみていた親の苦労が徒労と分かったのだが病院にいるふたりを見ておけばよいことになり、私が仕事に出れるようになった。家内は「平日は私が見るから」と言ったが、何日かおきには休みをとって私が代わって付き添いで止まり、夕方くらいまで見ることにした。

 また、次の実習生さんが入り、長男と次男にひとりづつついて下さっていた。看護師の実習生さんは女性が多いのだが、次男につかれたのが男性の学生さんで、「ポケモン・サンデー」にならって長男が所長、次男が博士、実習生さんが部下だという話にしていろいろ遊んでくださった。特に幼稚園のバザーに参加できないかもしれない子供たちのために「院内バザー」を看護師さんたちと企画してくれて、折り紙でいろいろな「商品」と「お金」をつくってバザーを開催した。看護師や医師の方々が聞きつけて買い物に来てくださったようで、仕事場にこっそりとったデジカメ写真がメール送信されてきた。

 実際はバザーには1時間だけ外出許可をもらってこどもたちは参加できたのだが、病院でのバザーも嬉しかったようだ。「収益」をゲームカードなどいろいろなおもちゃと交換してもらっていた。

6月23日(月)揃って退院、自宅療養へ

 子供たちは血液検査を週一回、金曜日に受けていた。先に述べた「血清補体価」をみるためである。回診のときに何度か聞いているうちに、潜血と血清補体価のどちらが退院のバロメータになるかというと、血清補体価であるとわかった。潜血は半年から一年続くような例もあるそうで、それがおさまるまで入院しなければ、という判断にはならないとのこと。血清補体価が上がれば退院して大丈夫だし、病院によっては血清補体価が正常値まできっちり上がらなければ退院判断をしないところもあるらしい。

 血液検査結果が出るのは火曜日か水曜日かとおもっていたら、日曜日に「月曜日か火曜日には出るかも」と回診で言われた。ただし、あてにしないことにしていた。

 というのは、最初1週間、検査結果が出るまで入院で、急性糸球体腎炎と診断されてから当初「2〜3週間は入院とおもって下さい」と言われていた。そう言われると2週間で退院できるだろうか、と淡い期待を持つのが親である。実際は長男の入院は4週目に突入。そこへもってきて当初「大丈夫でしょう」と言われた次男も入院。希望的観測を持っていたら親は心も体ももたない。長男も入院時に「運動は当分控えて」と言われてショックを受けたようだったし(決して言葉には出さなかったが)、点滴が外れた時いったん喜んだが、まだ入院は続くと医師に言われて目に見えてがっかりしていた、などと親子そろってがっかり続きだったのだ。

 実際には月曜日のお昼頃にふたりとも退院が決定。私は仕事場を急いであとにし、大森のアトレでお菓子を買って車で病院まで迎えに行った。回診されていたところにお菓子をお渡しし、血清補体価が完全ではないながら30程度まで上がってきたので退院としたこと、今度は自宅で静養し次の金曜日にまた診察することなど説明を受けた。外出は買い物に1時間程度なら、とのことだった。

7月4日(金)登園許可

 6月27日(金)の通院ではもう1週間自宅で静養を、との判断。こうなると家内のストレスがたまる。

 せっかく子供がふたりとも幼稚園に行くようになってちょっと楽になったところ、ふたりともずっと家にいて夏休み状態だから始終叱っていなければならない。こどもたちも外に出られるわけではないし、動き回るなと言われるし、ストレスは感じていたとおもう。

 かくしておもちゃは普段にないくらい買った。学研のニューブロックを2セット、あとは誕生日のプレゼントの前倒しで「炎神戦隊ゴーオンジャー」のロボット、「エンジンオー」と「ガンバルオー」。友達は遊びにくるとはしゃいでしまうので、友達にもうちの子にももう少し我慢してもらうことにした。

 そして7月4日、前の週の血液検査結果から次男は通常の生活に戻ってよし、長男はまだ潜血があるが運動をしないようにして登園していいでしょう、との判断を頂いた。実際の登園は7月7日からで、長男は1ヶ月と1週間ほど急性糸球体腎炎で休んだこととなる。なんと長い6月だった。

 今後もいつ運動を始めてよいのかなど、診察を受けながら見極めていくこととなる。予後のよい病気であり、既に血清補体価も正常に近づいているので、完全に直って普通に運動会に出たり、習い事ができるようにというのが親の願い。

 また、この病気に兄弟揃ってかかった例というのが稀らしく、大学病院と連絡をとったうえで親も含めた血液検査などお願いするかもしれません、と言われておりもちろんご協力するつもりにしている。なんでも過去30年で3例しか認められないとのこと。実は必ずしも症状が出なかったり、検査もしなかったりしている例が埋もれているのではないかという気がしており、調べて分かることがあるかもしれない。

 他の病院でも急性糸球体腎炎については同じような対応をとるのか、聞いてみたいきがする。もし同じならば、できれば最初から1ヶ月は覚悟して下さいと説明を受けた方が親としてはかえって楽とおもうので、そういう対応で標準化されればよいとおもう。


【素人なりの参考情報】
糸球体腎炎 - Wikipedia

溶連菌感染症(やまて小児科)

急性糸球体腎炎症候群 - goo ヘルスケア

急性糸球体腎炎(あいち小児保健医療総合センター)

診療日誌: 溶連菌感染症と尿検査(かたおか小児科クリニック)


【2008.07.14追記】
 兄弟でPSAGNになったことについて、親も含めた検査、という話はなくなった。その可能性は現在ほとんど否定されているのだとのこと。むしろ、特定の溶血性連鎖球菌の型が腎炎を引き起こしやすい、ということなのではないか、という仮説の方が現実性を持っていると考えられているらしい。

 となると今回の溶連菌の流行で実は糸球体腎炎を起こしている子供は多いかもしれない。うちの子たちと同じく抗生剤の投与だけであとはひたすら安静にする、という対応で良いのかどうか、症例の累積がなされていることを望む。