椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

会津をゆく

大内宿

 朝起きて朝湯に浸かることもなく東山温泉「新瀧」を出発した。会津西街道の宿場まち、大内宿を訪れるためである。

 前日会津若松市内にある酒屋「会津酒楽館」で買い物をしたときのことだが、家内がお店の方に大内宿と喜多方に明日行きたいのだがどういったらよいか尋ねていた。ひとにものを訪ねるにあたって私は不器用で聞くべき内容とタイミングがずれてしまったり、そもそも聞きそびれてしまったりということが多い。その点家内は的確なひとに尋ねるもので、お店の方は観光用につくられた地図を出してきて大内宿への道順と所要時間を教えて下さった。

 大内宿へは通常国道118号線(121号線との重複区間)を使って自動車で行かれる方が多く、週末は渋滞することもあるという。118号線では曲がらないでもうしばらく西へ行くと大内宿を示す道標が出ているところがあるから、そこで左へ曲がるといいですよ、ということだった。ちなみに喜多方まではここから30分くらいとのことである。

 東山温泉から市街へ降りてきて、「奴郎ヶ前」という印象的な地名の交差点で左へ曲がり「富士通り」という名前らしい大きな道路に出て再度左折、市の外周を走っていった。会津盆地南端辺りを走る格好で、ひろびろとした景色を見ながら進む。道案内のお陰で迷わず道標を見つけ山へと入っていった。

 山は紅葉が美しく、真っ赤というのではないが赤や黄で彩られた景色を楽しみながら大内宿近くにある広い駐車場に着いた。後で改めて、この道が明治初期にイザベラ・バードが旅した道筋に近いのだろうなと考えた。

 この旅行に先だって二冊の紀行文を読んだ。司馬遼太郎街道をゆく 奥州白河・会津のみち/赤坂散歩』とイザベラ・バード『日本奥地紀行』。前者は私にとって東京で一番馴染み深い場所(大阪在住時代からよく行く機会があった)赤坂について読みたくて元々持っていたもの、後者は今回他に想像を膨らませられるような紀行文はないかと検索した結果知ったもの。併せて宮本常一さんがバードの著作をテキストに講演した内容を書籍化した『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』も読んでいた。司馬さんは会津若松から国道118号線を自動車で通って大内宿に行かれたようだが、バードさんは日光から大内宿まで来て宿泊、峠を越えて会津坂下町に抜けている。大内ダムが出来るなど道も変わっているはずだがおおまかにとらえれば私たちと同じ風景を馬の背中から眺めて行ったのだろうと想像した。

 バードは不快に感じることも好感を持ったことも詳細に書き残しているが大内については短い記述しかない。






 私は大内(オーウチ)村の農家に泊まった。この家は蚕部屋と郵便局、運送所と大名(ダイミョー)の宿所を一緒にした屋敷であった。村は山に囲まれた美しい谷間にあった。私は翌朝早く出発し、……

 とだけあるが、大内に入る前後も山の景色の美しさについては述べている。

『日本奥地紀行』については下記のようなサイトも参照したが、一番ありがたく感じたのがバードについて旅行をした伊藤(イトー)という通訳についてだった。この人物は宮本さんも講演のなかでその後の経歴が残っていないように述べられるにとどめているが実際は通訳としてこの後も活動し写真も残されている。

→「旅行作家 白神りゅうやのページ

→「伊藤鶴吉 | 近代日本人の肖像」(国立国会図書館

 バードの文章の日本語訳文を読んでいて登場人物、特にこの伊藤さんがどういう人物だったのか、日本人の観点から残っているだろうと興味があったのだが、見つかるものである。この写真のひとが明治11年の夏この道を歩いたのだな、というイメージを持つことが出来た。

 我々はバード一行とは反対の方角からやってきて駐車場に入る。ぽつんと中央に蕎麦屋さんがある広い駐車場で、そこから橋を渡ってベビーカーをいったん畳んでえっちらおっちら階段を登り、少し歩くとそこに大内宿があった。

 私はだいぶ以前に「朝日ビジュアルシリーズ」の『街道をゆく』の中で大内宿の写真を見て(こんな場所が本当に東北にはあるのだろうか)とその光景に驚いた。

 お陰で大内宿のまちなみの素晴らしさに感じ入る前に、朝9時半で既にまちを訪れたひとたちが多いのに驚いてしまった。どちらかというと予備知識のない家内が山々に囲まれた茅葺屋根の風景や、道の両側を走る山からの水の流れにに素直に感嘆していた。水は冷たく、ビールやラムネを冷やすのに使われている。

 平日はどうか分からないが、週末であり各家は店を開いて雑貨を売っていたり、蕎麦を出していたり、煎餅を焼いていたり賑やかである。子供たちに顔よりも大きいような焼き立ての煎餅を買い、家族4人でかじりながら歩いて行った。家内は面白そうな雑貨をチェックして歩いていく。

 茅葺屋根のまちなみが終わるまで、どんと真っ直ぐ通ったみちを歩いていくと、外れに国道118号線から北に上ってきたところにある駐車場があり、既に車で一杯になっていた。「会津酒楽館」で教えてもらってやはりよかったのだ。

 そこから家内はチェックした雑貨を購入し、子供たちには饅頭の唐揚げや焼き芋をかってやりながらぶらぶらと戻っていった。

 先ほどの『日本奥地紀行』の引用内で、この場所の名前が「オーウチ」と表記されている。原書でどのように綴られているのが確認できていないのだが、我々が使っているローマ字表記法が確立する前のようなので(Wikipediaによると、ヘボン式表記法は既にあったが田中館愛橘氏の日本式は1885年、明治18年に出来たものらしい)分かってもどちらとも取れるのかもしれず、もしかしたら翻訳の時点で誤読があったのかもしれない。『街道をゆく』では実際は「オオチ」とよまれている、という話が出てくる。本当のところ「オオチ」が正しいのだろうか、と買い物をしながら聞いてみようとしたが、お客の多いこの日にそんな話題に付き合ってもらうのが無理だった。やはり私は人にものを尋ねるのが下手であると確認できただけで終わった。

蔵とラーメンのまち

 大内宿でのんびりと過ごしすぎた。大内宿内には景観を守るため郵便局がなく、代わりにある一軒ではがきや切手を取り扱っている。周りに配慮して黒くされた特製のポストが設置されていて、それにお店でもらえるビニール袋に入れて投函すると、記念消印つきで配達してもらえるときいて、私と家内のそれぞれの実家に絵葉書を書いた。絵葉書は今朝東山温泉の「新瀧」で購入した竹久夢二の絵をはがきにしたものである。さすがにここでは郵便局の方以外は気づかないだろうと、「萩市」の住所を書いた。


写真右下の黒い箱がポスト

 もうお昼どきとなっていたが、喜多方に向かうことにした。

 昨日「会津酒楽館」で喜多方までの所要時間を家内が聞いていたが、30分くらいという話だった。大内宿であれこれ買い食いしていたので、持つだろう。再び美しい山並みを見ながら会津盆地へ戻っていき、そのまま北進した。広大な田畑の中に建物が点在する、というイメージの光景の中を進んでいく。会津盆地を縦断することになる。

 その道沿いのところどころで蔵を見かける。特に、蔵と屋根との間に空間があるように見える蔵をしばしば見かけ、あれは天井が空いているのだろうか、と気になった。この蔵は、前述のはがきをかった大内宿のお宅の背後にも立派なものが建っていた。

 実際には天井が空いている訳ではない。置き屋根という。夏に蔵の中の温度が上昇し過ぎないため屋根を持ち上げているものだ。置き屋根自体は全国に見られるものらしいが、会津の置き屋根は角度があって(冬の雪下ろしとも関係があるだろうか)かたちが美しく見える。

 蔵というと、喜多方は「蔵とラーメンのまち」というキャッチフレーズを持っている。会津は醸造がさかんな土地であったようで蔵が盛んに作られたらしく、かつ蔵を建てることが男の甲斐性というような風もあったらしい。

 幸いなことに蔵を写真に収め続けた金田実氏という地元の写真家の作品がひとびとの心を動かしたこと、NHKの「新日本紀行」で喜多方の蔵が取り上げられたことから、蔵の多くはその姿を今に残した。その喜多方にラーメンだけ食べに行こうというのだから勿体無いことをしにいったが今回は欲張らないことにした。

 ちなみに昨晩「新瀧」で食事を用意して頂いた仲居さんに、会津市内でもおいしいラーメンがあるか、家内が聞いたのだが「あれはやはり、その土地のものですからねぇ」というように言われていた。確かに水とか基本的なものがおいしいかどうかで決まるので、足を運んで分かると言うのが正論な気はする。

→金田実氏については「喜多方の蔵 ・・・ 歴史と考察」(平成の名水物語きたかた 内)参照

 市役所付近に来て、どのラーメン屋さんに入ろうか考えるという場当たり的なものだった。というのが、JTBでラーメンの割引があるクーポンをもらっていたのである。

 最初入ろうとしたお店の駐車場が狭かったのであきらめてコイン・パーキングに入り、道沿いにあった「ひさごや」というお店に入った。笑い話だが、クーポンを見せたら「すみません、うちだけ今月からそれやめたんです」と言われて、結局ラーメンとチャーシューメン、焼き飯を頼んで料金通りで家族で食べてきた。

 私はこれだけ濃そうな見た目ながら口にするとそんなにくどくないのを感じ、確かにちょくちょく食べたくなるのは分かる気がした。家内には味が濃かったようで、「こちらのものはどれも味が濃いね」という感想だった。我々も結構味が濃いのが好きで、自分らで「田舎の舌だから」と言ったりするのだが、その我々が濃く感じるのは根本的に土地柄の違いなのだろうと思う。私はまた喜多方でラーメンを食べてみたいとおもったが、家内は「大森駅前の坂内(チェーンの喜多方ラーメンやさん)でいいや」と身も蓋もない感想を述べていた。

紅い磐梯山

 喜多方をあとにして、会津若松市内に戻った。目的のひとつは昨日大内宿や喜多方への行き方を教えて頂いた「会津酒楽館」に立ち寄ってお礼を言うことで、ついでに日本酒「天明」をもう一本追加で購入してきた。私も飲みたくなったのである。

 どちらの要件も家内が済ませてくれた。私はというと、ちょうどお腹の具合がいまいちだったのでお手洗いを借りることになり、なんとも締りのないことだった。

 家内が御礼を言うと「紅葉どうでした?」と聞かれたので「凄く綺麗でした!」と答えたと、あとで報告してもらった。

 このあと、少しだけまちを歩いた。

 東邦銀行の名のついたコインパーキングに自動車をとめ、辺りを歩いてみた。昨日飯盛山に寄った際「七日町通りまちなみ協議会」作成の散策マップというのを入手していて、行ってみたかったのだ。意識せずにマップに「ここが城下町の中心」と書かれた大町四つ角を通った。七日町通りの起点で、英世青春通り(このつくったような通りの名前が一般的なのかどうか分からない)との交差点になっている地点。

 そこは通ったが七日町通りは歩かず、国道118号線沿いになる、分厚いアーケードのある神明通り商店街の方に歩いていった。子供たちがおもちゃを買ってほしいと言い出したので、おもちゃやさんがありそうな方に行ってしまったのである。昨日今日と、どちらかというと私の行きたい場所に連れまわしているので、少しは子供たちのリクエストも聞かなければならない。

 予想に反しておもちゃやさんが見つからなかったが、ちょうど「リオンドール」というスーパーマーケットの前にさしかかった。

 旅行に行くと、その土地のスーパーマーケットですら珍しかったりする。今回の旅行では「ヨークベニマル」と「リオンドール」をロードサイドでやたらと目にした。

 リオンドールに入って上の階に100円ショップが入っているのでそこに行ったらおもちゃのコーナーがあり、ゲームだの、子供用ののゴルフやバスケットやバドミントンのラケットと羽根がセットになったのやら色々ある。バドミントンなどいくらなんでも100円じゃないだろうとレジの方に聞くと、自信に満ちた表情で「100円でございます」と言われたので感心しておもちゃ以外にもあれこれ買ってしまった。

 ダイソーじゃなかったな、とおもってあとで調べると「Seria生活良品」という店だった。全国に展開している100円ショップのようだが、大森近辺では見ない店だった。

 そんな時間を過ごしてやっと会津をあとにし、当日の宿のある那須に出発した。遅くなった、と思ったがそれが幸いして素晴らしい景色を会津での最後に見た。

 磐越道に乗ったのが4時半頃だったが、丁度日没の時間だった。正面に磐梯山が見えるのだが後ろの夕陽が山肌に映えて、紅く輝くのを見ながら運転していた。あまりに綺麗なので家内にビデオに写してもらったが、ものの10分ほどの絵画だった。あんな美しい光景を会津のひとは普段から見ているのだろうか。

 その後東北道に入り、那須で高速道路をおりたころには真っ暗になっていた。那須街道を北に行き、二、三度迷いながら山の中にある綺麗な宿に着いた。

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