会津へ行く

 JTBの旅行券が1万五千円分、期限付きで手に入ったので家族旅行に行くことにした。行く先は会津とした。家内が「東京から行けるところがいいね」という希望を出したからである。帰りに那須でもう一泊して帰ってくる。

猪苗代湖と会津磐梯山

 戸越で高速道路に乗り、大宮方面から東北道に入る。埼玉県内で事故渋滞に会い、予想以上に時間がかかった。子供たちが小さいので、サービス・エリアで長めに休憩を取りながらゆく。磐越自動車道は「これくらいなら私でも大丈夫」と家内が運転を代わってくれた。

 家内が「磐梯山はやっぱ見ていかなきゃね」と言っていたが、果たして磐越道からは山頂が割れた山様が見えてきた。天気がよく、すこし赤や黄の入った緑が美しい。

 磐梯山は岩の質が粘度が高い性質のもので(安山岩が多い)溶岩となって流れ出るよりも水蒸気爆発を起こす。その大噴火で今の姿となっている、という昔「学研まんがひみつシリーズ」で読んだ話を家内に話したりした。

 磐梯山サービス・エリアで運転を交代し、会津盆地に入っていった。

 最初「会津平野」と言ってしまい家内に「私が知らないと思っていい加減に言ってない?」と指摘されたが、「平野」と言ってしまいそうに会津は広い。私が育った奈良も盆地だが、広大さが違う、というのが最初の印象だった。一部雪を戴いた山が遠くに見え、平地には田畑が多い。

 カー・ナビゲーションは宿のある東山温泉ではなく飯盛山辺りに設定していたので、そちらに自動車を走らせた。

会津のまち

 会津市内に入って家内が「信号が縦なのはなんでだろう」と言い出した。普通、横に緑・黄・赤と並ぶ信号を目にすることは多いが縦に上から赤・黄・緑とならぶものを目にする。

「雪が積もった時を考えて縦型なんじゃないかな?」というが、そうかもしれない。まとめて信号機の更新が行われる際、縦型のLED信号機が導入されているらしい。

→「(○○●)交通信号機がすべてわかるページ

 飯盛山に着くと広い駐車場があり、そこにいったん車をとめる。案内所があったのでパンフレットを何部かもらうが、子供を連れて階段を上るのは大変そうだったので白虎隊に敬意を表するのは省略させて戴くことにした。

 東山温泉へは飯盛山の前を右に曲がって南へ行けば良かったのだが、その時は地理が分かっておらずまた寄りたい場所があったので会津若松駅前近くまで戻った。途中で「会津酒楽館」というのを見つけていたのである。

 前に駐車場があって、いわゆる観光施設かと思ったが言ってみたら立派なつくりながら地酒を豊富に置いてある酒屋さんだった。お酒に限らず地元産の品、塩だとか菓子なども置いてある。

 会津でおいしそうなお酒があったら実家のそれぞれの親に送るよう話していたので、早速日本酒を見せて戴くが、広い店内は階段で二階に上ると喫茶店のようになっていてお蕎麦を頼むことも出来るらしく、そこに子供が上って遊んだりするのでなかなかゆっくり見ることができない。家内が見てくれているすきに地下に作られている日本酒のコーナーへ行き、熟慮の末会津産の亀の尾を使ったという「天明」というお酒を選んだ。会津坂下町にある曙酒造というところが作っているらしい。レジへ持っていくと「おいしいですよ」と太鼓判を押してもらった。

 直接お店から送ってもらおうとして、家内が宅急便の伝票を書こうとしているところではた、と目を合わせた。実家は「山口県萩市」である。

 旅行に行く前、今頃はそんなに長州に対して不快感を抱く人ばかりではないだろうが、会った方を嫌な気持ちにさせてもいけないしと「東京から来た」ということで通そうとしていた。お店の人に尋ねるとこの季節なので常温でも大丈夫でしょう、ということなので持って帰ることにした。以外と気を遣うものである。

温泉宿

 東山温泉で予約した宿は「くつろぎ宿新瀧」という。東山温泉は会津若松市街から南東に行った場所で、温泉街は道が日本に分かれてそこにびっしりと宿やお店がならんでいる。

「新瀧」は細い方の道沿いにあった。


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 昔ながらの酒屋、最近のリバイバルを意識したっぽい射的場。「新瀧」に入るところにはヌードショーがあった。いかにも温泉宿名光景が車のなかから眺められた。

 時間があれば歩いてみたかったが、子供たちが広い和室の中ではしゃぎ回り柱によじ登って遊ぶなどしたため汗だくとなり、これで表に出たら風邪をひかせてしまうとおもって宿からは出なかった。

 この宿にしたのはなんのこだわりもなくJTBに予約をしにいった時点でどの宿も一杯になっておりパンフレットの後半に掲載されたこの宿が残っていただけのことだった。

 といって「新瀧」がよろしくない宿ということではない。むしろ残り福だったかもしれない。フロントロビーにコーヒーを出すカウンターつきのスペースがあり、そこが絵の展示スペースにもなっている。飾られている作家は竹久夢二である。

 宿内に掲示された案内板によると、竹久夢二はこの温泉宿が気に入り、何度か訪れてはスケッチをし、綺麗な女性を見てはおもむろにスケッチを始めてしまうので警察に咎められたこともあったというような逸話が書いてあった。そして宿に何点も作品を残した。それらを宿内で見ることができた。温泉以外にもそういう楽しみ方もさせてもらった。

 同じケース内には松平容保公の書も一幅、彼の写真とともに掲げられていた。

 フロントロビーには通常のホテルのように新聞が置かれているのは別に会津にまつわる書籍が何点も置かれていた。『会津人』という地誌っぽい雑誌もあったが開くと地域とは関係ない論説も書かれておりいかにも会津から情報だけでなく意見を発信するのだ、という気概が感じられた。子供がロビーで走り回って悪さをしたり、突然トイレに行きたくなったりするのでゆっくり読めなかったことだけが残念である。