東海道をあるく(鮫洲〜鈴ヶ森)

 風邪気味なのだから止せばいいのに、旧東海道沿いを傘をさして歩いてしまった。昨日の話である。どうせ東邦大学医療センターに検査を受けに行かねばならず、京急で大森海岸まで行くのも、歩いていくのも大差ない、とおもってしまった。

 鮫洲の駅前は商店街になっていて、それなりに店もある。最近「旧東海道」ということで街並み整備もしているらしく、のぼりがたっていた。

 道沿いには案内の石柱が新たに建てられていたりするし、電柱にも「旧東海道」という標識がひたすらつけられているので、そもそも電柱が立てられているのはいかがなものか、立っていなければ本当に昔の街道の風情が残る場所もあるのに、とは思うが、非常に分かりやすい。鮫洲や立会川は駅のそばなので商店も並ぶが、そうでないところは普通の住宅街であったりもする。そういう道をひたすら鈴ヶ森の刑場跡まで歩いて行った。道が第一京浜国道とぶつかる地点で、大経寺というお寺があり、刑場跡であることを示す看板や、慰霊の碑などが狭い場所に立ち並んでいる。

 私は(吉田松陰先生が刑せられたのは、鈴ヶ森だったろうか)などと考え、居住まいを正してしまったが、松蔭先生は伝馬町の獄で慌しく斬首刑にされたのを後で調べて知った。それでもこういう処刑場という場所では見られている感じがして、失礼になりそうで写真も撮らなかった。

東海道にもいろいろある

 さて、東海道というと、私が住んでいるところに近い池上通りも旧東海道と言われる。この日通ったルートはもっと海岸沿いで、まったく違う道なので、どういうことなのだろうと思っていた。どうも時代が違うらしい。

 鈴ヶ森を通るみちは江戸期の街道であり、これが一番メジャーだ。池上通りは律令時代からの、もっと古いものだろう。

 大森駅から環七通りに抜ける、ジャーマン通りの起点になるT字路交差点があり、この辺りの地名で「山王の交差点」と呼ばれている。この近くの開業医の入っているビルの前には説明版が設けてあって、このビルを建てた時に大きな道路のあとが出てきた、つまりかなり昔の街道であると思われる、と書かれている。今の池上通りとはちょっとずれているが、だいたい沿っているようである。

 大森郵便局前で脇に逸れて行く道があり、春日神社が道沿いにあるので「春日通り」と呼ばれている。こちらの方が旧東海道であるらしく、この道にも石の道標が何箇所かに設置されている。私は引っ越してきた当初から最近まで、こちらが江戸期の東海道なのかと思っていた。

貼紙についてひとこと

 普通の商店街でもそうなのだが、しもた屋であったり特定のお店にありとあらゆる政党のポスターが貼られていることがある。どういう経緯でそうなるのか知らないが、断らないところには各政党から貼られて、私設掲示板になってしまうらしい。みていてあまりいい光景ではない。

 昨日歩いた東海道でも、池上通り沿いでも、そういう店がある。これは貼るほうが自粛するのがよろしいのだろうが、できないならばやはり住人側で制限をかけるべきだとおもう。いかがだろうか。