高見順の詩

 PCのデスクトップに気に入った言葉を画像にして表示させている。本当はWindowsのデスクトップもいろいろ遊びようがあるのだろうが、現状そうしている。言葉は詩にすることが多い。

 先日デスクトップを変えようと考えていたところ、テレビで流れて以来頭から離れない、短い詩があることを思い出した。高見順の詩である、ということと、紅葉だか楓だかの葉を掌に例えて「祈りとしらない祈りのこころは美しい」という言葉が印象に残っていた。

 改めて調べたところ、彼の『死の淵より』という詩集に収められている詩篇のうち、『庭で』という、短い詩が三つ続くなかの三番目に見つけた。「カエデの赤い芽」という副題で、ちょっと間違えて覚えていた。


 空をめざす小さな赤い手の群

 祈りと知らない祈りの姿は美しい


死の淵より (講談社文芸文庫)

死の淵より (講談社文芸文庫)

 この詩は私に限らず心に残るようで、鎌倉にある彼の墓にはこの詩碑が建てられ、楓が植わっているそうである。

 なお、私が住んでいる馬込付近は大正から昭和初期にかけて作家が多く住んだ土地だが、高見順もこの土地に住んだひとである。馬込からはちょっと離れるが住所でいうと大森北、JRの線路沿い海側に住んだらしい。その人の精神の結晶のような詩句を日々目にしているんだ、と贅沢な気分でいる。