椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

沢田橋あと

 東邦大学医療センターに副鼻腔炎の診察を受けに行った。最近痰が出る症状は落ち着きつつあるが、1ヶ月前の診察で花粉症陽性と出てすぐに、気が付いたように花粉症の症状が出たと話したら医師が笑っておられた。鼻はちょっとのぞいたところ、綺麗だという。CTスキャンの検査を再度受けて、その結果が良ければいったん完治として良いでしょう、ということになった。クラリス錠、ムコダイン錠、アイピーディカプセルの服用は続ける。

 天気がよく、自転車で行き来した。銀行に寄る用事があったので、大森駅方面に自転車を走らせる。医療センターから何区画か西へ行き、車通りの少ないみちを北にまっすぐ行くと、環七通りの浅間神社の西側に出た。そこに、橋のあと、柱が二本残されているのに気が付いた。

 柱には片方に「さわだばし」、もう片方に「昭和十二年七月竣功(ママ)」となっている。その文字の向きから、自転車で走ってきた道のうち、歩道部分は川か用水路だったらしいと思われる。環七通りの方が土地が高くなっているように見えるので、人為的に流れを制御していたのかもしれず、ならば用水路かもしれない。


 すぐに出てこないのだが、『学校裏から始まった2』という書物があり、大田区の事歴がふんだんに収められていて、この沢田あたりのことも書かれていた。沢田X軒、関X軒」というような言い回しが載っていて(後で再読、7月10日加筆→「沢田三軒、原八軒」)家が何件しか見当たらないような、海辺の寒村であったと書かれていた。昭和十二年といえば、それなりに開けてきたであろうと思われるのだが、それでもまだ鄙びたものだったのであろうと想像する。このあたりの地図を、陸軍参謀本部作成地図なんぞから引っ張ってきたら面白いだろうな、とおもうようになった。

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