椋箚記

主に合気道とまち歩きについて

図書館と戦争犯罪責任と

 TBSで土曜日の朝やっている「王様のブランチ」をよく見る。「せやねん!」とか見たいなぁ、と思いながらも見る。

 最初が書籍の売り上げランキングなどのコーナーなのだが、先週は『図書館戦争』の有川浩さんのインタビューをやっていた。『図書館戦争』は未読なのだが、面白そうである。

 この作品の出発点は、実際に図書館に掲げられていたりする「図書館の自由に関する宣言」という憲章であるそうだ。






図書館の自由に関する宣言


日 本 図 書 館 協 会
1 9 5 4  採 択  
1 9 7 9  改 訂  

 図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。

1.  日本国憲法は主権が国民に存するとの原理にもとづいており、この国民主権の原理を維持し発展させるためには、国民ひとりひとりが思想・意見を自由に発表し交換すること、すなわち表現の自由の保障が不可欠である
知る自由は、表現の送り手に対して保障されるべき自由と表裏一体をなすものであり、知る自由の保障があってこそ表現の自由は成立する。
知る自由は、また、思想・良心の自由をはじめとして、いっさいの基本的人権と密接にかかわり、それらの保障を実現するための基礎的な要件である。それは、憲法が示すように、国民の不断の努力によって保持されなければならない。

2.  すべての国民は、いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する。この権利を社会的に保障することは、すなわち知る自由を保障することである。図書館は、まさにこのことに責任を負う機関である。

3.  図書館は、権力の介入または社会的圧力に左右されることなく、自らの責任にもとづき、図書館間の相互協力をふくむ図書館の総力をあげて、収集した資料と整備された施設を国民の利用に供するものである。

4.  わが国においては、図書館が国民の知る自由を保障するのではなく、国民に対する「思想善導」の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした歴史的事実があることを忘れてはならない。図書館は、この反省の上に、国民の知る自由を守り、ひろげていく責任を果たすことが必要である。

5.  すべての国民は、図書館利用に公平な権利をもっており、人種、信条、性別、年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない。
外国人も、その権利は保障される。

6.  ここに掲げる「図書館の自由」に関する原則は、国民の知る自由を保障するためであって、すべての図書館に基本的に妥当するものである。
 

この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。(以下略)

 これのことだったかな?

 さて、先日こんなことを知った。

→「図書館に所蔵資料の訂正を求める戸井田とおる議員 - good2ndの日記

 アイリス・チャンの「レイプ・オブ・南京」は南京虐殺について誤った内容を記述しているので、国立国会図書館に所蔵すべきでない、と姫路の選挙区から出たの自民党所属の二世議員が述べた、という話である。この話はふたつの問題を含んでいて、ひとつは上記の図書館とはどうあるべきかという話と、前の戦争で南京大虐殺などの類を見ない犯罪行為がされたのか、といういましきりに話される問題だ。今はどちらかというと従軍慰安婦の問題の方が重たくなっているか。

 前者の図書館のあるべき姿については、政治家が法案を書くために資料にあたる際、その資料の信憑性についても判断したうえで資料を選定すべきである、という当然のことを理解できていない(あるいは分からないふりをして無理を通そうとしている)二世政治屋が跋扈しているという点で、政治をするものの平均的な質の低下が危機的な状況である、という話である。すぐに『図書館戦争』の世界が現実化するほど日本の国民は愚かに政治屋を放置しないだろうと考えているし、自分もそうしようとおもっているが、象徴的な話ではある。

 もうひとつの問題がまとまらず、なかなか書くだけの内容が自分の中でもまとまらずにいる。漠然とおもうのは、南京虐殺も、従軍慰安婦も、(ふたつは通底しているとはいえまた別に論じないといけないが)国内で充分に研究調査が為され、どの資料が信頼でき、どの資料が信頼できないという判断が充分に成熟していないのではないか、という感想である。

 そんななかで、上記の姫路の議員は愚かな発言を国会において発言し、内閣総理大臣は「従軍慰安婦の召集に強制はなかったのではないか」などとふやけた発言をした。その発言内容が正しいとか間違っているというのはこの際大きな問題とはいえない。国際的には従軍慰安婦について非人間的なことが為されたと信じられている状況で、特に資料上の精査を経ず、確認結果を示さず、認識に反した発言を垂れ流したことにある。その結果、国際世論からは「言い訳に終始している」と取られることになっている。そうなることを目的に発言しているのではないか、とすら思える。

 意図的に行動しているなら仕様がないが、資料に対する姿勢に真意が滲み出ているような気がする。姫路の政治屋は正しいことを言っているつもりで検閲という名の隠蔽行為に魅力を感じているのが透けて見える。

 

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