川淵の言葉

 11日、外の飲んで帰ってきて、テレビでサッカーアジアカップ予選のインド戦の最後の方だけ見た。2−0で勝っていて、中村憲剛選手がミドルシュートを叩き込んだあたりだ。

 試合が終わって、オシム監督のインタビューの直前でテレビ中継が終わってしまったのにちょっとムッとし、フジテレビもだめだな、とおもったり、スポーツナビで必ず監督会見が日本語訳されて載るので、まあいいか、と思ったり。

『オシムの言葉』の帯で、村上龍さんが「オシムのコメントは奇抜だとおもわれるかもしれないが、そうではなくて、言葉の意味に厳密なのだ」というようなことが書かれていた気がする。これは誰も同感なのではないだろうか。曖昧な言い方でその場を凌ぐことをすると、取り返しのつかない事態を招くような場所でオシム監督は経験を積んできている。

オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える

オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える

 だから、オシム監督の会見は、訳は要るけど解説はそんなに必要を感じない。

 一方で、思うようなパフォーマンスを出せないながら勝った、という試合内容に、川淵キャプテンが具体的に選手の名前を挙げて苦言を言った、というような記事がスポーツ新聞でみられた。他で見れない情報など無視しておきたいところだが、ちょっと組織運営全般的な話で感じるところがあった。

 オシム監督の日本代表は、まだチームをつくっている途中という評価でいいだろうとおもう。オシム監督自身も長い目で見るよう求めるコメントをエジプト戦後にしている

 それを理解しているのかどうか分からないが、川淵キャプテンはフォワードが結果を出せないことを責める発言をしたらしい。この時点で、オシム監督と川淵キャプテンの意図はずれている。つまり、現場はどっちをみればいいのか、迷いかねない状況になったと理解していい。

 間違いなく、現場が向くべきはオシム監督だが、もし間違えるひとがいると、その修正に不要な時間が費やされることになるのだ。フォワードの決定力はドイツワールドカップの結果で分かっているはずで、そんな発言は我慢すべきなのだ。オシム監督は、Jリーグの選手主体でチームを編成している意味を、ガーナ戦後の会見で述べている。

 てなことを書いたのは、旧三商戦の直前になって合気道部の現役生にメールを打った、ということが、同じような事態を起こさないよなぁ、という、自分への心配である。アドバイスは身近に稽古に参加されているOBから得られれば一番いいので、内容の異なる話がいろんな方向から来るようなことになると、結局迷惑をかけてしまう。