慈恵でお茶を
もともと8月に通院の予定だったのが様々な理由で延びに延びていたが、やっと今日東京慈恵医大付属病院へ行ってきた。
一階に会計窓口があるのだが、その奥にスターバックスコーヒーが出来ているのを発見。以前はなかったはず。そういえば、「ワールドビジネスサテライト」だかで、企業の中だとか様々な出店形式を採りはじめたスタバを取り上げていたような気がする。たしかに会計では混んでいると待たされるから、つい一杯何か頼もうかという気分になる。「プレミアムホットチョコレート」のSHORT、360円くらいを頼んだ。
会計が終わってもまだ飲み終わっていなかったので、入り口すぐのエスカレータ横の椅子に座って、病院の沿革を説明するパネルを見ながら飲んでいた。慈恵医大の創設者は高木兼寛という人物で、ウィリアム・ウィリス博士の教えを受けて臨床を重視する英国の医学を学ぶことを志した、というようなことから年表形式で書かれている。
ウィリアム・ウィリスという名前に聞き覚えがあったので、偶然持っていた司馬遼太郎さんの『街道をゆく37 本郷界隈』の文庫本を開くと、冒頭にまさに名前が出ていた。石黒忠悳という人物の『懐旧九十年』という自伝のことから書き出されているのだが、この石黒さんは東大医学部の前身である医学所でウィリアム・ウィリスが指導・治療をしていた際にその講義録を記録した、ということで名前が出てくる。その後明治政府はドイツ医学を採用することとなり、英国人ウィリアム・ウィリスは医学所を去ることになるのだが、西郷隆盛が薩摩に招聘し医学校を興させた、とある。日向生まれの薩摩藩士だった高木兼寛はここでウィリスから医学を学んだということになる。頭の中で話しがつながった。
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高木兼寛の業績のひとつに脚気の予防法の発見がある。当時脚気は伝染病と思われていて、森林太郎(鴎外)などもその説だったそうだが、高木はある種の栄養素が食事から採れないことが原因である、という仮説を立て、その足りない栄養が摂取できるものとして麦飯を挙げた。おそらく臨床のなかでの観察から結論を得たのだろうが、高木が正しかった。結果も挙げた。
森林太郎が「白米は伝統的な日本文化で、正しい食生活だ」ということを述べた、ということは確か余丁町散人さんのブログに出いていたな、と思って検索したらすぐにみつかった。→「日本のヒジキを食べるとガンになる? 」
森林太郎は真面目にそう思っていたのだろうと私は考えるが、白米を食事に採用することで日露戦争の陸軍の現場はより悲惨な状況となった。乃木希典が、実直な人柄ながら、指揮のまずさで多くの戦死者を出したのと思い合わせると、真面目すぎるのもよくないなと本気で考えてしまう。一方で海軍が日本海海戦に勝利できたのは、高木の提言が採用されていたのも遠因ではあるだろう、という評価ができるようだ。
そんな高木を創立者に持つ慈恵医大でも医療事故があり、特に青戸病院での医療事故(充分な経験を持たない医師が、指導なしに前立腺癌の手術をし、患者を死亡させた)の話を聞くと、その精神が失われていたのだと分かる。組織を存続させることは、かくも難しいのだな、と考えながらチョコレートを飲んでいた。