馬込の秋祭り

 昨日に続いて秋祭り(正式には例大祭)の週末。

 今日はお神輿や山車が出る。一番近い北野神社でも子供が引く山車と、子供神輿が午前十時からと出ていたので、子供たちを連れて出た。家内が前日お祭りに行くときにアスファルトのへこんだところを踏んで足を挫いてしまい、思うように歩けないので次男はカートに座らせ、長男を歩かせて出かける。

北野神社

 北野神社の山車や神輿は、「オオツカ」イシ」(最初誤記)という町内にある石鹸などを扱う問屋さんの前に来たところで追いついた。そこでお菓子とジュースが子供たちに振舞われる。子供たちも列にならばせて、ちゃっかりおかしをもらい、生まれて初めてラムネを飲むこととあいなった。ここで長男と同じ幼稚園に行っているIさんの坊やとお母さんも合流。

 Iさん坊やと長男は山車を並んで引かせてもらう。私は子供の頃、こういう体験をとんとしなかったので、うらやましい思いで後ろから次男のバギーを押してついていく。Iさん(お母さん)が上の子たちの横についてくださるので大変助かる。

 このあと平張町の公民館まできてまた休憩、かき氷やスイカが振舞われる。うちの子供たち、初炭酸飲料に続いて初かき氷である。このあと、この小休憩が続く。すこし引いて下川石材店前で休憩、バス通りに入ってセブンイレブン(元々よろずやという酒屋さんらしい)前で休憩、万福寺前まで坂を降りていって休憩。そのたびにお菓子などが増えていく。

 実はIさんは、お腹に赤ちゃんがいらっしゃる。炎天下だいぶ歩いたので、万福寺前からうちの家に寄って休んでもらった。子供たちも私が連れて行ったが、おそらく山車はそのあとすずきクリニックの前を通って神社に戻ったのだろうか。一昨日石坂理容店のご主人が言われた通り、ついていく親は大変である。でも、これだけいろいろ子供たちにしてもらえると、本当にありがたい。いい思い出になればいいとおもう。

熊野神社

 Iさん親子が帰られたあと、長男は疲れて寝てしまった。

 次男は万福寺前で寝てしまって昼寝を済ませていたので、私と次男で買い物に出かけた。日曜日でバス通り沿いの八百屋は閉まっているので、「キタムラ」まで歩いていった。

 途中、他の神社の山車にも出会い、賑やかである。桜並木通り沿いの公園でも、近所の自治会でされていると思しい屋台やフリーマーケットが出ていた。帰りに、アンパンマン音頭に誘われて熊野神社に寄る。

 熊野神社は鋭い斜面に立地していて北野神社よりも狭い境内だが、櫓が組んであってやはり自治会でされているらしい屋台がいくつも出ている。かき氷や射的、おもちゃ釣りなどなど。どうも次男向けのものがなく、一日に2杯もかき氷を食わせたら腹を壊してしまうとおもい、泣いて嫌がるのを無理やり退出した。

八幡神社

 泣く次男を「もうちょっと寄り道しようか」と丸め込んで歩く。途中の公園で寄り道したりしながら、バス通り沿いの八幡神社まで来た。この辺りの総鎮守というお宮である。

 ここはテキヤさんがやる屋台がたくさんでていた。暑い日で、テキヤさんも一部バテ気味の人が居て、末社の活気に及ばない感じだったが、そうこういっている間に神輿が帰ってきた。子供の神輿でなく、大人が真剣に担いでくるやつである。掛け声が「ワッショイ、ワッショイ」なのを聞いて、「東京のお祭りだなぁ」とおもった。

 江戸のお祭りの神輿においては掛け声は「ワッショイ」であり、「ソイヤ、ソイヤ」というのは関西の風である、というのは都筑道夫さんの「なめくじ長屋」シリーズのどこかに書いてあった気がする。「なめくじ長屋」シリーズはいわゆる「捕物帖」で私が一番好きなものなのだが、それはともかく「最近東京でもソイヤ、という掛け声を用いることがあるようだが、大きな間違いである」という文脈だったと記憶している。実際は大森近辺で聞く限り、みな由緒正しく「ワッショイ」であるようだ。





 次男はバギーからおりるとご機嫌で、境内のあちこちを歩き回った。神輿が帰ってきたときはさすがにあっけにとたれた感じだったが、クレープ(400円)を買って二人で食べてから、帰路についた。実は帰ってもまだ長男が寝ていたので、買った物を家内に渡して更に散歩を続けたのだが…… 風呂に入ったとき、両腕が日焼けでひりひりしたが、子供と過ごせていい日だった。