一澤帆布のナップザック

 最近道着を着ての稽古などしていないのでほとんど使っていないが、道着と帯、袴を入れるのに京都の一澤帆布製のナップザックを使っている。渋い朱色に染められた帆布で出来ていて、さすがに酷使に耐えかねて一部破れ、金具が壊れたりしたので一時期使わなくなっていたが、家内が見て「いいじゃない、これ」と言って、稽古に行くような時にはこれに道着を入れて用意してくれるので、再び持ち歩くようになった。今も一応、押入れにスタンバイしている。

 確か京都の東大路通り沿いにあった一澤帆布の店にも一度、家内を連れて行ったが、確か気に入ったものが見つからなかったはずで、うちにある一澤帆布製の品物はナップザックだけのはずだ。昔「明日のジョー」で矢吹丈がナップザックを担いでいるようなシルエットを再現したく探し、結果としてこの京都の店で購入した。十年くらいまえのはずで、なんとも年季の入ったナップザックになってしまった。

 先日より、この一澤帆布で相続に関するトラブルが起きていることは読んで知っており、かなり控えめな利用者ながら心配はしていた。そして最近、一澤帆布工業(株)を離れた前社長と前社長についておられる職人側からの情報発信を知りひととおり読んだ。

 正直この手の創業一族内の相続争いなど他人が容易に立ち入り難いということも思うが、上記の情報が片方から発せられたものであることを差し引いても、やはり「長男と四男が会社をのっとろうとして、中途半端に成功している」ということになるのだろう。

 少なくとも会社乗っ取り自体が成功したならば、多少の狡猾さがあればできるということで、所詮裁判所もその程度なのだと最初から知っておく必要があるのだろうと思う。少なくとも裁判所だから善良な市民を守ってくれるだろう、などということは寝言にも思っておいてはいけないということだ。私が学生時代に法律を学んで得た数すくないことにひとつに、「法律とは弱者を守るためにあるべきもので、そのためには正しいかどうかは二の次」という原則があるのだが、それが世の中では守られない、ということを知った上でのことだろうとは今も思う。

 ただ「中途半端」というのは、今回の社長交代が法律に則っているとしても、京都の地のひとのほとんどに支持されないだろう、ということである。読んでいないが、そのような内容を想像させる記事が「アエラ」に出ていたらしい。地元の方々に支持されないということは、海外からも含めた旅行者にも支持されないということだ。所詮その程度の知恵で為されたことなのだが、それも厭わない位の程度の人が世の中にはうようよ居て、たまたまこのような耳目を集める形でなされたということなのだろう。

 既に前社長は新しいブランドで店を立ち上げているのだそうで、次にもし行くことがあれば、そちらの店に行くことになるだろうか。まだナップザックは使い続ける予定だが。